第二次UWFが分裂したのは、1991年1月のことだった。
1988年5月に旗揚げし、格闘技色を全面に出したプロレスで一世を風靡した第二次UWF。東京ドーム大会「U-COSMOS」を成功させた1989年1月を経て、1990年8月20日には、WOWOWとの独占放送契約が締結された。1991年4月からUWF全試合の独占放送が記者会見で発表された。これにより一層の認知度アップが期待され、
年間約4億8千万円の放送権料も確保出来ることに。UWFは、この放映権料だけでも団体の安定運営は保障されて、さらなる高みへのステップアップは確実に思われていた。
だが、この時、既に裏では、選手とフロントの不協和音がどうしようもなく高まっていた。
きっかけは1989年4月。団体の1周年記念大会を前に、事務所で、前田と専務の鈴木が口論を始めたのだ。
前田は師匠である田中正悟から吹き込まれて「会社の帳簿を見せて欲しい」とフロントに直訴していた。