ープチ情報ー
規定打席に到達した年で守備率を .990を切ったのは2008,2009年の二度だけでエラー数がとても少なく、多くのファインプレーを魅せてくれました。また巨人に移籍してからは内野のユーティリティプレイヤーとして怪我や不調な選手の代わりとして出場するなど貴重な存在でした。”アライバ”のイメージが強く落合博満監督のときにレギュラーになったイメージがあるかも知れませんが2000年に出場機会を増やします。打線の調子が悪く若手にチャンスが増えると外野でのスタメンが増えました。そして8月1日に福留孝介が死球で離脱すると森野将彦や久慈照嘉らとショートのポジション争いを制して福留は戻ってきてもサードでの出場も増え翌年にはコンバートされるなどショートでのレギュラーを獲得します。2001年、福留が不調に陥りショートで起用されると持ち前の器用さでライトを守り打撃でも欠かせない存在となりました。そしてそれ以降は2010年のアライバコンバートまでショートでのレギュラーを張り続けました。しかしコンバートされた2010年には眼病で長期離脱するなど堂上直倫にレギュラーを明け渡します。そのためシーズン終盤に復帰するとポストシーズンのためにフェニックス・リーグに出場した際には堂上直倫と併用や外野手の右不足のためにセンターを守りました。(結果的に外野での出場は無い)
ータイムスタンプー
00:00 2004年
02:20 2005年
04:06 2006年
12:44 2007年
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