【4K】一生に一度は行くべき沖縄最高の霊地:琉球七大御嶽 (安須森御嶽、クボウ御嶽、斎場御嶽、藪薩御嶽、雨粒天次御嶽、フボー御嶽、首里森御嶽)
▼チャプターリスト(目次)
0:00 オープニング
0:43 安須森御嶽
3:59 クボウ御嶽
6:41 藪薩御嶽
8:00 雨粒天次御嶽
9:38 首里森御嶽
11:11 斎場御嶽
13:25 フボー御嶽(久高島)
どうも、管理人のヒロリンです。
今回は沖縄、琉球の最高の聖地と名高い「琉球七大御嶽」を紹介します。
古代、国づくりのロマンを語るものとして、どの国にも伝えられてきたものが『神話』です。
日本本土では8世紀に書き記されたといわれる「古事記」や「日本書記」の中に国づくりの神話が登場してきます
世界のはじまりに、日本の国土はまだ形をなしておらず、ただ海に波のように漂っているだけであった。そこで、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)という男神と、伊弉冉尊(いざなみのみこと)という女神が矛の先で海水をかき回し、その矛の先から落ちた雫によって島を作ったとされ、その島は「オノゴロ島」、現在の淡路島となっています。二神がオノゴロ島に降り、日本の国土を形作る島々の創成の話を日本神話では伝えています。しかし、日本神話では当然だともいえますが北海道と沖縄(琉球)は描かれていません。
沖縄においても、各地に伝えらえた神話があり、国づくりの壮大なロマンを物語っています。それらの神話によると、開闢(かいびゃく)の頃の琉球は、荒ぶれる波濤に漂う一本の縄のようで、島の形をなしていない。そして東の海と西の海の波が激しく噛み合い、人の住める場所としては描かれていません。
天界の中央に鎮座する天帝は、波濤に遊ぶ琉球の地を、神の住むべき霊所であることを認め、さっそく女神アマミキヨ(アマミク、アマミキュ)と男神シネリキヨ(シネリク、シネリキュ)を呼び寄せ、彼の地に島づくり国づくりを命じます。
天上より琉球の地に降ったアマミキヨ、シネリキヨの開闢神は、土石を運び、草木を植え、森々をつくり、嶽々をつくり国をなしたと琉球の神話は伝えています。
さて、国づくりを命じられた女神アマミキヨは、琉球に降りたって最初に、沖縄県北部の国頭村に現在存在する安須森御嶽(あすもり)を作り、そこから9つの聖地を作ったと神話で描かれています。
【安須森御嶽】(0:43~)
アマミキヨが最初に作った安須森御嶽は、国頭村にそびえ立つ四連の峰からなる聖地。
むき出しの岩肌を見せる頂部の岩石が陽光を受けて鈍く光り、麓を覆う木々がしなやかな曲線を描いて裾野を縁取っています。参道は急峻な斜面となっており、鎖場や両手両足を使わないといけない場所も存在。参拝難易度が高いことから、ここを訪れる参拝客はほとんどいません。
女神アマミキヨは何故、最初にこの安須森を創成したと描かれたのか?聖なる社の頂部に立つと、北端には風化した石灰岩がするどく剣を競って独特の形相を見せ、荒涼とした風景をいよいよ際立たせる辺戸岬が洋上に屹立したように見えます。もし、北部から沖縄本島に上陸しようとすると、まず目につくのは安須森の魁偉な岩山に違いありません。おそらく、沖縄に上陸しようとした一族が、神境をおびてそびえ立つ安須森の岩山によび寄せられるように上陸したことで、ここが最初の聖地になったのではないかと思います。
【クボウ御嶽】(3:59~)
沖縄県北部の今帰仁村に存在する「クボウ御嶽」。頂を自然林の豊かな樹幹が覆いつくし、やわらかな稜線が広がる山の中にある御嶽です。
森の麓に作られた山道を10分ほど歩き進めると、御嶽の入口に到着。山道には砂利が敷かれ、ぐるりに繁茂する樹木が濃い影を落とす場所です。御嶽の入り口から10mほど奥に歩を進めると、星霜(せいそう)を重ねて独特の暗褐色の色合いを見せる古木群が林立する広場に出ます。ここが幽玄な雰囲気漂う御嶽の祭場。森厳な山に神が降りて鎮座するという、ひもろぎ形式の祭りが厳然として生きている世界ともいえます。
【藪薩御嶽】(6:41~)
沖縄県南部の南城市に存在する御嶽。はるか昔、開闢神アマミキヨが、ニレーカネー(ニライカナイ)の大東(ウフアガリ)からやってきて第一歩を印したと伝わるヤハラヅカサ。
一時の居住を求め、山籠もりをしたといわれる浜川御嶽。そして、水の聖地として今なお人々のゆるぎな信仰をあつめ、崇められる受水(ウキンジュ)・走水(ハインジュ)。さらには、アマミキヨ一族の安住の地とされるミントゥングスク。これら海浜に点在する聖地を総称して藪薩の浦原とよばれ、開闢神アマミキヨによって創成されたと伝わります。
このような聖地藪薩の浦原にあるのが藪薩御嶽。藪薩御嶽は規模が小さく、ともすれば見落とされるかのような拝所ですが、巨大なガジュマルの木が拝所の近くに存在し、ここがただならぬ聖地であることが分かります。
【雨粒天次御嶽】(8:00~)
藪薩御嶽から数kmほど離れた古城跡王城グスクの中にあるのが「雨粒天次御嶽」。
王城グスクは、アマミキヨによって築城されたと伝えられ、城主はその子孫の天孫子とされてきました。現在、城の主郭にあたる「1の郭」のみが城壁とともにわずかばかりの遺構を伝えるのみ。
主郭に通じるグスク道は、小石が敷き詰められ、両翼に植えられたでデイゴが見事な並木をつくり彩りをそえています。グスク道をぬけて雑草の繁茂する急峻な斜面を上がると、眼前に巨岩がポッカリと口を開けたかのようなハート型の石門が見えてきます。足元の岩段は黒ずんで磨滅し、悠久の時を経た重厚なおもむきをたたえる石門。この石門をくぐった正面にあるのが雨粒天次御嶽の拝所。雨粒(あまつづ)の命名から連想される通り、この御嶽は雨乞いの霊所としてもよく知られている場所です。
【首里森御嶽】(9:38~)
沖縄を代表する観光地であり、琉球王国発祥の地・首里城。その首里城には聖地として、場内に10の御嶽があったことが知られています。その10御嶽の中の一つが、城域のへその位置にあって、男女ともに祈願する国家の最重要な拝所であった「首里森」です。
首里森御嶽は見た目はものすごく小さい森を囲った場所に見えますが、首里城の中で最も神聖な場所で、首里城はこの御嶽を中心に建てられたとされるほどです。2019年に発生した首里城火災では、正殿に近いながらも焼失を免れた聖地。現在でも、幽玄なる姿を見ることが可能です。
【斎場御嶽】(11:11~)
王朝時代の国王の行幸のあった御嶽として、最高神女・聞得大君(きこえおおぎみ)の即位式である御新下りの行われた霊地として、そして今なお沖縄随一の霊地としてその尊厳さを見せてくれるのが世界遺産にも指定されている知念村の斎場御嶽です。
昼なお光届かぬ森厳な森、そして神降り、神宿る聖なる森。そんな斎場御嶽の象徴は、逆V字形の洞門です。この洞門を通り抜けると3m四方ほどの石の敷かれた座敷となっている場所があります。「三庫理」とよばれる拝所で、岩壁を通して天空を拝むとされる「キョウノハナ」や、琉球王国時代に最も神聖な場所とされてきた久高島を望む「久高島遥拝所」もあります。
【フボー御嶽、久高島】(13:25~)
知念半島の東の方角、およそ5㎞の海上に細長く低く、そして平らな孤影を落としているのが一島で一字をなす久高島です。
この久高島は神の国として知られ、琉球の国づくりの神話にちなむ数多くの聖地「フボー御嶽」、「カベール(神谷原)」、「伊敷浜」、「カタス」などが往古の佇まいを見せ、イザイホーなどに代表される琉球の古き祭祀行事を今に伝えてくれます。
そんな久高島の第一の聖地として存在するのが「フボー御嶽」。久高島のみならず沖縄最高の聖地とされるこの御嶽は、何人たりとりも立ち入り禁止。入口付近に縄が張ってありそこから先は立ち入ることが出来ません。しかし、入口からでも森厳なる雰囲気からここがただならぬ場所であることがよくわかります。昔は女性のみが参拝することが出来、その際に撮影された写真をネットで見ることが出来ますが、奥には円形広場が存在し、イザイホーやフバワク行事などの祭祀場となっているようです。
久高島にはほかにも様々な霊地が存在。ゆっくりとした時間の中で自らを見つめなおすきかっけともなる島です。是非とも訪れてみてください。