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【大入集落】[4K撮影] 幻の集落を求めて‥ 平安時代の権力争いに翻弄された花山天皇が移り住んだとされる隠れ里は実在するのか その存在を確かめるべく探索した一部始終 Ōnyu Village

自適探訪記 8,014 2 years ago
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愛知県北設楽郡東栄町と静岡県浜松市天竜区の県境に終点が存在する古真立佐久間線。 この終点から愛知県道429号線を北上すると大入渓谷という深い峡谷に入っていきます。 そんな深い山中に人目から避ける様にひっそりと集落が存在していたというのです。 そこは第65代花山天皇が隠れ里として移り住んだ事が始まりと謂われている場所です。 平安時代である永観2年(984年)から寛和2年(986年)在位していた花山(かざん)天皇。 寛和元年(985年)に彼が深く寵愛した女御である藤原忯子(しし)が亡くなられました。 女御(にょうご)とは天皇の寝所に仕えた高位の女官であり夫人としての階級を指します。 その事に嘆き悲しみに暮れた花山天皇は出家して藤原忯子を供養したいと考えます。 そこに激しい権力争い(政争)に巻き込まれるという事態も重なり退位し仏門に入る事に。 その花山天皇の末裔が現代まで住み続けていたというのが大入(おおにゅう)集落です。 標高800mという人が住むには険しい場所である上に隠れ里だけあって目印はないです。 集落の手前には山道が存在するもそこに至る途上には道がなく急斜面をよじ登ります。 過去に集落に辿り着いた方々の僅かな情報を基にほぼ手探りの状態で挑戦しました。 迷わず進んで行っても1時間30分前後は要し、徒歩でしか到達出来ないという難所です。 そんな険しい場所ですが集落内にはかつて大入文教場なる学校が存在したとの事です。 先生は集落に住み込みで働き全盛期には何と生徒が13人も在籍していたというのです。 昭和37年(1962年)頃に無人化したといわれ、江戸時代の様な暮らしを続けていたそう。 更に集落内(家屋群より山頂に近い上層)には花山(熊野)神社なる村社も存在しています。 神社周辺には花山姓の墓石が幾つも確認されている様で伝説の信憑性を感じさせます。 また、東栄町史等には元々は大入が皇入という名称で記載された記録もあるそうです。 私も学校跡地や神社まで行ったのですが、猪の集団(6頭)と遭遇してしまいました。 人が立ち入らない為か縄張りとしている様子でこちらを威嚇し立ち去りませんでした。 その為、目で一瞬は確認出来ましたが、身の危険を感じ滞在し撮影する事は断念‥。 ですので今回は集落までの道程と集落自体の現在の姿の記録の内容となっております。 また、動画の最後に下記に示してある各ポイントを記載したMAPを表示しております。 11時15分 スタート 11時30分 土砂崩れポイント 11時35分 1本目の橋(大入橋) 11時50分 分岐道もどき 12時10分 2本目の橋(滝見橋) 12時20分 廃車ポイント 12時25分 集落への登り坂(登山) ※落石注意の看板が目印 12時50分 集落入口に到着 到達所要時間:約1時間30分(目的地まで途中に休憩を挟まない場合) 名称:大入集落(廃村) Ōnyu Village(abandoned village) 場所:愛知県北設楽郡東栄町東薗目 Higashisonome, Kitashitara Gun Toei Cho, Aichi Ken, Japan 地図:https://www.google.co.jp/maps/place/35%C2%B005'38.6%22N+137%C2%B045'56.7%22E/@35.0790192,137.7755085,14z/data=!4m4!3m3!8m2!3d35.0940556!4d137.76575?hl=ja&entry=ttu BGM:DOVA-SYNDROME  【アドレス】https://dova-s.jp/ #隠れ里#幻の集落#廃村

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