秩父夜祭は、京都祇園祭、飛騨高山祭とともに日本三大曳山祭のひとつとして知られ、300年以上
の歴史を持つ秩父を代表するお祭りです。
毎年、12月2日(宵宮)・3日(大祭)の日程で行なわれます。
令和6年その1では、大祭(12月3日)での宮地①の屋台曳き廻しと花火をご覧ください。
20 :16頃~ 聖人通り
20 :24頃~ 聖人通り・番場通り入口交差点
20 :38頃~ 番場通りへ入り団子坂へ向います。
・宮地屋台
所在地:秩父市中宮地町5090番地
所有者:宮地屋台保存会
宮地屋台は、表2.64m、妻4.29mで名匠藤田大和によって建造されたものと伝えられる。
現在の屋台はほぼ文政年代(秩父屋台のうち最も古い)に修造が行われたものといわれ、各部の構造にも高度の工作技術が見え、装飾彫刻も屋型とよく均整を保ち、秩父祭屋台のうち最も端正な姿をとどめている。歌舞伎舞台の構造も他の屋台と同様。後幕は、猩々酔舞(しょうじょうすいまい)、水引幕は飛鶴の刺繍、縫取りである。
「秩父夜祭」(ちちぶよまつり)として知られる秩父神社の例大祭は、長き歴史を持つ神社神事に豪華絢爛な笠鉾・屋台の曳き廻しや、豪壮な秩父屋台囃子、夜空を彩る花火、屋台芝居に曳き踊りなどが加わり、今も昔も、多くの人々を魅了し続けています。
この祭りは江戸時代中期、秩父神社周辺に立った絹織物の市、「絹大市」(きぬのたかまち)の経済的な発展と共に盛大に行われるようになり、付け祭り(神社神事に付随する民間行事。神賑:かみにぎわいともいう。)としての屋台行事の始まりは、寛文年間(1661~73年)とも享保年間(1716~36年)とも伝わっています。幕府による華美な屋台行事の禁止令が出された時代や、度重なる戦禍、社会情勢の変化の波を乗り越えながら、日本を代表する祭りとして現代に伝わっています。冬の夜空を染める花火と、提灯やぼんぼりの灯りが揺れる笠鉾・屋台の極彩色の共演こそが秩父夜祭の醍醐味といえるでしょう。「秩父祭の屋台行事と神楽」は国重要無形民俗文化財に指定され、全国の「山・鉾・屋台行事」33件のうちの1つとしてユネスコ無形文化遺産にも登録されています。