資料によって色んな説があるので、これが完璧に正しいわけではありません。一応、私が清滝にある三角山城が大友の拠点だったという話は『豊前誌』を根拠にしています。『豊前誌』によると、「三角山城は近く東明寺山城と同様に門司城攻めの際の拠点か、もしくは門司城を奪還した後の支城と言い伝えられている」との旨が書かれています。ただ、とあるお城マニアのサイトでは、三角山城は門司氏が門司城の支城として築城したとの話も書かれていましたし、Wikipediaでは【恒見】にある【三角三城】なる場所が記載されています。で、おそらくWikipediaを元にしたのだと思いますが、私の手持ちの某ムック本では、永禄四年の戦い時の大友の拠点として三角山城が書かれていますが位置が恒見辺りになっています。【恒見の三角山城】と今回の動画の【清滝の三角山城】は別の山なのでしょうか?わからない…。資料別の差異やその考察まで説明するような動画はさすがに作れません。申し訳ありません。まあ、門司城の戦いを説明しているパートも、概ねこんな感じだった程度に認識してもらえればと思います。#北九州市 #山城 #大友宗麟 #門司港 #関門海峡