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【寺社参詣】#67 叡福寺(大阪府太子町/新西国客番/真言宗系単立)~聖徳太子御廟所・太子信仰の中核~ Eifukuji Temple

有急ちゃんねる 5,614 3 years ago
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神社仏閣巡り「寺社参詣シリーズ」第67回は、大阪府の南部、生駒・金剛山地西麓の、南河内郡太子町にある、真言宗系単立寺院 磯長山叡福寺です。太子宗本山とも言われています。 大和国から二上山を越えて河内国へ入った丘陵にあって、聖徳太子自らが廟所として選定した磯長廟を擁する寺院で、推古天皇より方六町の地を賜り、この霊廟を守る香華寺として僧坊を置いたのが始まりとされています。後に聖武天皇の勅願で、神亀元(724)年に七堂伽藍を構えたのが、叡福寺の創建とされています。 聖徳太子は、推古30(622)年に薨御され、その前後になくなった太子夫人膳部菩岐々美郎女と生母穴穂部間人皇女と共に埋葬されました。現在、磯長廟(叡福寺北古墳)の石室には、3つの石棺があることが確認されています(三骨一廟)。この思想は、阿弥陀三尊が人間の姿になってこの世に現れて人々を救うという、聖徳太子を救世観音の生まれ変わりとする、いわゆる「太子信仰」の象徴となっています。この御廟は、各時代の名僧が参籠し、日本の大乗仏教の聖地となりました。 現在、聖徳太子御廟は、宮内庁より「第31代 用明天皇皇子・第33代 推古天皇皇太子 聖徳太子(厩戸皇子)の墓に治定され、宮内庁が管理しています。 戦国時代、織田信長の兵火によって伽藍の全てを焼失しましたが、豊臣秀頼によって聖徳太子を祀る聖霊殿が再建されたのを皮切りに、江戸中期にかけて御廟前の伽藍が再興されて、現在に至ります。 叡福寺の近くには、日本最初の官道とされる「竹内街道」が通り、叡福寺と、叡福寺北古墳を含む「磯長谷古墳群」は、日本遺産「1400年に渡る悠久の歴史を伝える「最古の国道」~竹内街道・横大路(大道)~」の構成文化財となっています。 叡福寺は、聖徳太子建立三太子のひとつで、大聖勝軍寺(八尾市)の「下之太子」、野中寺(羽曳野市)の「中之太子」に対して、叡福寺は「上之太子」と呼ばれています。 四天王寺、法隆寺とならんで、太子信仰の中核となった、新西国三十三所客番札所 聖徳太子御廟を境内に擁する、磯長山叡福寺の動画をご覧ください。 【動画中にある最寄り駅およびアクセス情報について】 動画中にある最寄り駅およびアクセス情報で、金剛バスは令和5年12月20日をもって事業廃止されました。最寄りバス停となる「聖徳太子御廟前」バス停を通る路線のうち、近鉄長野線喜志駅から運行される喜志循環線は近鉄バスが引き継ぎ、便数は事業廃止前を維持ということとなっています。 近鉄南大阪線上ノ太子駅から運行される太子中央循環線は、太子町が自家用有償旅客運送という形で、朝夕に1時間1~2便程度運行、喜志駅と上ノ太子駅を結ぶ太子線は、喜志循環線や畑・平石線(太子町による自家用有償旅客輸送へ転換予定)に統合される形で廃止となりました。 撮影機材:GoPro HERO 8 【リンク】 上之太子 叡福寺 公式WEBサイト https://eifukuji-taishi.jp/ 【使用BGM】 「5月の雨」(甘茶の音楽工房) https://amachamusic.chagasi.com/ #神社仏閣巡り#叡福寺#大阪府太子町#お寺ガイド#真言宗#聖徳太子#パワースポット#お寺巡り

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