#真宗大谷派 #仏壇
【目次】
0:00 オープニング
0:14 仏壇の保有率(2012年・2013年)
0:51 仏壇を迎えるきっかけ(核家族のモデルケース)
2:21 仏壇は追善供養の場ではない(『歎異抄』)
3:07 念仏とは、口に唱えること?
3:48 称名=憶念=念仏=南無阿弥陀仏、阿弥陀仏の本願を憶念する(『浄土文類聚鈔』『教行信証』(「正信偈」)
5:10 相伝では《御堂は如来説法の場》
6:40 なぜお仏壇をお迎えするのか?への回答
7:29 如来とは(親鸞聖人の言葉)
仏壇のある家が少なくなりつつあるものの、両親の供養のために お仏壇を継承したり購入する家は まだまだ多いです。
真宗大谷派のお内仏(お仏壇)は、先祖のお勤めをするためにお迎えするのでしょうか?
お内仏の《願い》についてお話しします。
また、浄土真宗は「念仏して阿弥陀如来に救われる」という教えだと言われることが多いのですが、『歎異抄』や親鸞聖人の主著『教行信証』『浄土文類聚鈔』の言葉に従って聞いていきましょう。
0:14 の「仏壇の保有率のデータ」は、「ソナエ 安心のお墓探し」というウェブサイトのhttps://sonae.sankei.co.jp/news/detail/id=865
のページを参考にしました。
5:10 の『禀承餘艸=禀承余草(ほんじょうよそう)』は、相伝を伝える五箇寺の一つ、伊勢国本宗寺の真詮師が1788年に述し、本願寺第19世乗如上人に献上した書です。
東本願寺の御堂に伝わる故実について、37章をたてて相伝教学の立場から解説をしたものです。
『禀承余草』を真詮師から授与された肥後国の法幢という僧が、京都の高倉学寮を受講した時に、相伝の考え方や『禀承余草』の説を語ったことを咎められました。
1806年から1807年にかけて法幢は、当時の高倉学寮講師・香月院深励らから取り調べを受け、持説を捨てるまで繰り返し「御糺(おただし)」という指導を受け、《『禀承余草』の説=相伝の教学を信じておりましたが、間違っておりました》と言わされています。
その結果を受けて、本宗寺に対して相伝を語ることを禁じる命令が出され、蓮如上人が確立した相伝が断絶する事となりました。
『禀承余草』が掲載されている刊行物は
①『大系真宗史料』文書記録編13 儀式・故実(法蔵館)
②『生命の足音 教化センター紀要』別冊(真宗大谷派大阪教区教化センター)
の2種類があります。