頭山満翁没後80年 進藤一馬元福岡市長が作った玄洋社記念館再興はいかに 頭山満翁および玄洋社物故者慰霊祭妹尾玄洋社記念館理事長インタビュー
一般社団法人玄洋社記念館
理事長 妹尾俊見(せのおとしみ)
妹尾俊見(せのおとしみ)略歴
昭和18年福岡市生まれ。父は第2代玄洋社記念館理事長であり福岡市議であった妹尾憲介氏
大名小学校、舞鶴中学校、修猷館高校、早稲田大学卒業。
昭和62年に福岡市議会議員初当選。平成6年玄洋社記念館理事、平成17年、第67代福岡市議会議長就任。平成27年福岡市議会議員勇退。令和5年、吉村剛太郎理事長の勇退に伴い、第5代玄洋社記念館理事長就任。
玄洋社とは
玄洋社は明治11年秋、向陽社として創立されました。
箱田六輔、進藤喜平太、頭山満、平岡浩太郎ら若き情熱に充ち活気に溢れた精鋭たちの胆力と知力が渾然一体となって発足した向陽社が、12年12月玄洋社と改名されたのです。
玄洋社は「皇室を敬戴すべし」「本国を愛重すべし」「人民の権 利を固守すべし」の三憲則を基幹とし、自由民権の普及に献身、憲法の新設、国会の開設、次いで祖国の国力の伸張に奔走する一方、屈辱的外交条約の破棄、アジア主義に基くアジア民族の自決独立の援助に勇往邁進、その貢献力は明治末期には既に東南アジア各国に有名となり、各国の政治家が続々と玄洋社を訪れています。
中でも中国革命に於ける玄洋社の存在は大きく、以後第二次世界大戦終了直後まで日中和平工作を継続していた政治結社は玄洋社を除いて他にありません。
以上の概歴からしても郷土福岡の近代史を語るとき、玄洋社は第一に取り上げられねばなりません。
玄洋社記念館とは
最近全国各地で玄洋社を名乗る政治団体がありますが、明治12年 福岡において創立された、正統の玄洋社とは全く関係はありません。
玄洋社は創立以来昭和21年まで存続しましたが、終戦後占領軍指令で、強制解散させられました。
その後、玄洋社を勝手に名乗る者が現れたので、悪用を防ぐため、昭和51年2月政治団体「玄洋社」(代表者進藤一馬)の届出をなし、名前だけ残していますが、政治活動は致しておりません。
併し、郷土の先覚の士の業績と玄洋社精神を後世に残し広く世の 方々に御理解頂きたいと、昭和53年11月玄洋社記念館を開館、昭和 58年4月社団法人組織となし今日に至っているのであります。(同館HPより)
玄洋社記念館は現在、閉館中。所蔵品は福岡市博物館に寄託しています。
玄洋社ゆかりのものを観覧希望の際は玄洋社記念館事務局にご連絡ください。
玄洋社記念館事務局
福岡市早良区藤崎2丁目12-11
FAX092(841)1850
インタビュアー
浦辺 登(うらべ のぼる)
昭和31年(1956年)福岡県筑紫野市生まれ。糸島市在住。
福岡大学ドイツ語学科在学中から雑誌への投稿を行うが、卒業後も東京などでのサラリーマン生活の傍ら投稿を続ける。近年はインターネットサイトの書評投稿に注力しているが、オンライン書店bk1(hontoに統合)では「書評の鉄人」の称号を得る。
現在は、近代史の研究を行い、数多くの史伝を世に送り出しているが、福岡を近代史研究の中心に置き、思わぬ人と人の繋がりから近代日本の盲点や謎を紐解いている。
主な著書は以下のとおり。
『太宰府天満宮の定遠館』弦書房 2009年
『霊園から見た近代日本』弦書房 2011年
『東京の片隅からみた近代日本』弦書房 2012年
『アジア独立と東京五輪』弦書房 2013年
『玄洋社とは何者か』弦書房 2017年
『福岡地方史研究 第56号』福岡地方史研究会 編(共著)花乱社 2018年「玄洋社員・小野隆助のこと」
『権藤成卿の君民共治論』権藤成卿研究会 編(共著)展展社 2019年
『福岡地方史研究 第57号』福岡地方史研究会 編(共著)花乱社、2019年「幻のオリンピック・ガネフォ」
『勝海舟から始まる近代日本』弦書房 2019年
『維新秘話福岡』花乱社 2020年
『明治四年・久留米藩難事件』弦書房 2023年
《新装版》霊園から見た近代日本 弦書房 2024年
公式サイト https://www.urabe-noboru.com/
「九州プリンシプルTV」
https://qpri.tv/
「12~13歳までに自国の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる」英歴史学者アーノルド·J· トインビー(1889-1975)
日本国そして九州の末長い繁栄と子息たちの健やかな発展を期す情報を発信します。
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