瀬戸内寂聴さん97歳の思い
「いつ死ぬかなって、そればっかり考える」
4つの時代を生き、今伝えたいこととは…
(news23 2019年7月26日放送)
京都・嵯峨野にある「寂庵」。
瀬戸内寂聴さんが開いた寺院です。
97歳の今も、月に一度の写経の会にはできる限り顔を出します。
瀬戸内寂聴さん:
何か願い事があって写経敷いている人は手を挙げて。
病気が治るようにとか、自分の何かがうまくいくようにとかね、なにかあるのね。効果はありましたか?
写経の参加者:
(寂聴さんは)人間のありのままでいい、と言っている。何かほっとする。
元気頂ける、先生の。
この場で写経をするというのが1か月に1回の楽しみ。心も洗われてすごい幸せ。
世代を超えて慕われる寂聴さん。
そんな寂聴さんの元を、特別な思いをもって訪ねてきた男性もいます。
中島健太さん。
まるで写真のような繊細な絵が特徴の写実画家です。
タレントのベッキーさんをモデルにした作品で一躍有名になりました。
中島さんは寂聴さんを描きたいとやり取りを重ね、絵の制作が決まりました。
その制作現場をのぞかせてもらいました。
NEWS23 小川彩佳キャスター:
すごい。これ、もう完成していませんか?
中島健太さん:
これから、もう少し。
これでもまだ、描き始めたばかり。
写真を見ながら、小さなシワまで1本1本描き込んでいきます。
中島さん:
写真的な絵だからこそ、何が写真と違うのか。自分の中で思いを込めるという作業に時間をかけるのかなと。
中島さんは、寂聴さんからこんな言葉をかけられたといいます。
中島さん:
遺影はもう撮ってもらっているから。あなたが私を描く最後の人ね、という風に。
そして、半年かけて完成させた作品をお披露目することに。
寂聴さんは喜んでくれるでしょうか。
瀬戸内寂聴さん:
実物よりいい。
色とりどりの花が咲き誇る扉を開くと…。
アジサイに囲まれて柔らかな表情を見せる寂聴さんが描かれています。
瀬戸内寂聴さん:
写真よりもなにかこう、実物という感じがしますね。体の厚みなんかが出ますね。
中島さんの思いがこもった肖像画を前に、笑みがこぼれる寂聴さん。
一方で、絵からにじみ出る自分の印象に少しだけ違和感を覚えていました。
小川キャスター:
描かれた絵を初めてご覧になって、どうでしたか?
瀬戸内寂聴さん:
私はあんなに優しくないのよね。
とても優しい面を強調してくださったと思います。
寂聴さんは30代前半で作家デビュー。
しかし、平坦な道のりではなく、不倫など私生活にも批判が集まりました。
瀬戸内寂聴さん:
いい人間として生きたらね、私がしてきたことは全部反対ですからね。
だから、人がどう思おうが自分のしたいことをする。
小川キャスター:
いま、寂聴さんの言葉の力をもって、最も伝えたいと思うことはなんですか?
瀬戸内寂聴さん:
やっぱりね、生きるということは、何で生きるかというと、愛するために生まれてきて、愛するために生きている。
愛するということは、結局、究極は許すことなんですよね。
22歳で結婚した寂聴さん。
終戦は中国で迎えました。
翌年、ふるさとの徳島に戻ると、あたりは一面、焼け野原。
母のコハルさんが防空壕で亡くなっていたことも、知りませんでした。
瀬戸内寂聴さん:
非常に愛している人は死ぬとき離れていても、必ず知らせるとかいうでしょう。
死んだとき分かるなんて、あれ嘘よ。
私の母はね、本当に私の事を好きだったのね。かわいくてしょうがなかった人なんですよ。それが防空壕で死んだことも、私は全く知らなかった。
戦争で被害を受けた人たちって、悪くないんだもんね。自分は悪くなくて、被害を受けて、もう本当に残酷ですよ。
寂聴さんは、作家として人気が高まっていた51歳で出家。
執筆活動のかたわら、繰り返し反戦を訴えてきました。
瀬戸内寂聴さん:
戦争に、いい戦争というのは絶対にありません。
大正から令和まで、4つの時代を知るからこその実感。
瀬戸内寂聴さん:
朝、目が覚めたらまだ生きていたと思って。
いつ死ぬかなって、そればっかり考えるんですけどね。
我々の世代はそれを書き残す、あるいは言い伝える、言い伝えて残す。その義務があると思いますね。
自分だけの小さな平和を守るんじゃなくてね、後世に伝える義務があると思いますね。