MENU

Fun & Interesting

【後面展望BGM】北越急行ほくほく線 越後湯沢→直江津 【約51分】

Video Not Working? Fix It Now

2024年10月撮影 新潟県 北越急行ほくほく線 越後湯沢から直江津の後面展望となります。 土日は混んでいるのか座席は埋まっており 立ちのお客さんも大勢いました(;^_^A 車両にトイレが付いていないので 油断できない路線でございました。 車内音をまあまあ拾ってしまっていたので のるさんのBGMをお借りしております。 以下Wikipediaより(2024年10月) 北越急行株式会社(ほくえつきゅうこう、英: Hokuetsu Express Corporation)は、新潟県でほくほく線を運営する第三セクター方式の鉄道会社である。本社は新潟県南魚沼市六日町2902番地1に所在する。 ほくほく線(ほくほくせん)は、新潟県南魚沼市の六日町駅から同県上越市の犀潟駅までを結ぶ北越急行の鉄道路線である。 北陸方面への短絡線としての役割を有する日本国有鉄道(国鉄)の予定線「北越北線(ほくえつほくせん)」として1968年(昭和43年)に着工され、紆余曲折の末、北越急行によって1997年(平成9年)3月22日より営業を開始した。開業以来、上越新幹線と連絡する列車の運行が行われており、2015年(平成27年)3月14日の北陸新幹線の長野駅 - 金沢駅間延伸開業までは、首都圏と北陸を結ぶメインルートとして特急「はくたか」が同線を経由して運転された。 開業時から一部の特急「はくたか」で日本の狭軌在来線最高速度となる140 km/h運転が行われ、1998年(平成10年)12月からは150 km/h運転が、2002年(平成14年)3月以降はさらに高速となる160 km/h運転が開始された。2015年(平成27年)3月13日の特急「はくたか」運行終了により最高速度160 km/hで運行する列車は無くなり、2023年(令和5年)3月現在はHK100形による普通列車が最高速度95 km/hで運転されている。 歴史 鉄道誘致活動の始まり ほくほく線の中間付近にあたる松代村(まつだいむら。現十日町市の一部)では、1920年(大正9年)4月15日に松代自動車株式会社が設立されて、バスやトラックの運行を開始した。この会社は1932年(昭和7年)に売却されて頸城自動車となる。しかし、この時代には道路の除雪体制がまったく整っておらず、その整備が本格化する1960年(昭和35年)頃までは、道路交通が5月上旬まで完全に不能となり各集落が孤立状態となるのが常であった。ほくほく線建設が進められていた1980年代になってもなお、十日町と松代を結ぶ国道253号の薬師峠は毎年雪で不通となり、直線距離で13 キロメートル(km)のところを、柏崎・直江津を通る120 kmもの迂回をしなければ行き来ができなかった。冬には道路交通がまったく役に立たなくなるために、鉄道の重要性・必要性を痛感していた地元の関係者は、1931年(昭和6年)に当地を訪れた朝日新聞の記者が「この不便な山間地を開くには鉄道を貫通させなくては」と発言したことに刺激され、民間中心の鉄道誘致運動が開始された。その口火を切ったのは、松代自動車の設立者の柳常次であった。 既に1916年(大正5年)5月4日には、頸城鉄道(くびきてつどう)が新黒井 - 浦川原間を全通させていた。当初はこの頸城鉄道とつなぎ松代まで伸ばす形での「東頸城縦貫鉄道」の建設請願を1932年(昭和7年)8月に国会へ提出した。この時点では松代から信越本線(直江津)側へ結ぶだけの鉄道で、十日町や六日町と結ぶという構想は(急峻な地形のために実現が困難と判断されたのか)なかった。その後さらに発展的な構想として、北陸地方と東京を結ぶ「上越西線」という構想となり、魚沼三郡や東頸城郡の町村長が六日町 - 直江津間に鉄道を敷設する陳情書を国会に提出した。1938年(昭和13年)4月になると時勢から軍事用の役割が付加されて、軍都と呼ばれた高田を起点とする「北越鉄道」の構想が打ち出され、国防にも役立つという位置づけとされた。1937年(昭和12年)8月から9月にかけて、鉄道省による路線測量と経済調査が実施され、路線案の比較検討が行われるとともに、地元による国会への請願が繰り返された。 この時点までは、路線の北側は直江津案と高田案の2案があったが、南側については六日町で統一されていた。しかし1940年(昭和15年)になり、南側を越後湯沢駅とする案が持ち上がった。これはスキーをしに松之山温泉に来ていた鉄道省の技師が、越後湯沢と直江津を結ぶ経路の方が有力であるかのように話したことが発端であるとされるが、真偽ははっきりしていない。この年の10月から11月にかけて越後湯沢案に基づく路線の経済調査が実施され、両案の資料が揃うことになった。1942年(昭和17年)から両案の誘致活動が繰り広げられたが、第二次世界大戦中でもありこの時点ではそこまで厳しい対立ではなかった。1944年(昭和19年)には、国鉄信濃川発電所のある千手町(川西町を経て2005年の合併で十日町市の一部)と十日町を結ぶ工事用の軽便鉄道を延長する形で松代までを結ぶ路線の建設が決まり、工事予算1800万円が計上されたが、翌年の敗戦により計画は中止された。 運行形態 開業当初から、越後湯沢駅での上越新幹線との連絡を最優先にしたダイヤ設定が行われている。特急列車が廃止された2015年3月14日以降は普通列車を主体としたダイヤとなり、2023年3月18日のダイヤ改正より線内で通過運転を行う列車が無くなった。また、全ての定期列車がワンマン運転を実施している。 正式な起点は六日町駅であり、六日町駅から犀潟駅へ向かう列車が下り、逆方向を上りとしているが、列車番号は犀潟駅から六日町駅へ向かう列車が通常下り列車を表す奇数、逆方向が通常上り列車を表す偶数となっている。これは、特急「はくたか」がJR西日本主体の列車であったことから、北陸本線に合わせたためであり、「はくたか」廃止後もそのままである。本記事では、以下路線の起点に則って上り・下りを表記する。 駅員が集改札を行っている駅では全てのドアから乗降ができるが、それ以外の駅(無人駅)では1両目の後部のドアより乗車し、1両目の前部のドアより降車する後乗り前降り方式となっている。 現在の運行形態 線内各駅に停車する普通列車がおおむね毎時1本運転されている。直江津駅 - 越後湯沢駅間での運転を基本とし、線内途中駅を始発・終着とする列車はないが、朝夕を中心にJRとの境界駅である犀潟駅・六日町駅発着の列車が設定されている。 一部列車は日曜日を中心に後述の「ゆめぞら」の限定運用となっており、トンネル走行時に映像上映が行われている。詳しい運行状況は北越急行の公式サイトで確認することができる。 2015年3月14日のダイヤ改正で特急「はくたか」が全廃されたことに伴い、特急列車優先による待ち合わせが解消されたことから、普通列車の所要時間は1列車あたり10分程度短縮された。 車両 現在の使用車両 自社車両 ほくほく線内の普通列車は、特急列車「はくたか」への影響を最小限とするため、ローカル線の普通列車としては高速の部類に入る最高速度110 km/hと、優れた加速性能(3.0 km/h/s)が要求された。 HK100形 線内の普通列車として開業時より運用される車両で、開業時点ではイベント兼用車2両含む9両を製造[2]。1999年に1両、2003年にイベント車2両が増備された。 イベント車4両は「ゆめぞら」と称し、トンネルが多くあまり景色が見られないという路線特徴を逆手に取り、トンネル走行時に車内にて映像が上映される。 2003年に増備された100番台「ゆめぞら」のみ片運転台の2両編成で、それ以外は両運転台の車両である。

Comment