おばんです!
やっと納車動画をアップします!(遅くてすみません)
納車説明と簡単なインプレ動画です!
納車手続きを行なってる時、緊張して手が震えている父が印象的でした。
父は学生時代に二輪免許取得し、友人のバイクを数回借りて乗った経験があるそうです。
その為、ほぼ初心者です。
私の家は裕福ではなく、家庭状況も決して良いとは言えませんでした。
自分が中学生かその位の時、父のPCのデスクトップがバイクの画像でした。
当時の自分は人が嫌いで、不登校になり引き篭もってました。
「バイク欲しいの?」と聞くと、「いや、いらねー。昔欲しかったバイクだ」と言っていました。
聞いた時もきっと欲しかったのだと思います。
正直幼い頃は父が苦手でした。
帰ってきてもキャッチボールや一緒に遊んだりしてくれず、すぐに寝床についていました。
たまに釣りに行くのが楽しみでした。
学校帰りに親子で遊んでる家族を見るのが嫌でした。
社会人になった今、夜中から働いていた父を思い返し「限界だったんだな」と思います。
東日本大震災
なんとか高校へ入学し、当時の友人と実家で映画を見ていました。
「映画終わったら閖上(津波の被害があった場所)行かね?」
「いいね。あと少しで終わるから行くべ」
暫くして、エンディングに近づいた時、大きな揺れが襲いかかりました。
幸いな事に怪我はなく、食器や家具が壊れる程度で済みました。
停電し信号も動作せず、水も出ない。
友人は余震が落ち着いてから帰りました。
もちろんネットや電話も繋がらないので、ラジオだけが頼りでした。
「津波が町を襲っています。」
「火災が発生し燃え広がっています。」
どこまで津波が来て、どこまで火が燃え広がっているのか分からないので不安でした。
その日は寒く、雪が降っていました。
そして星が綺麗でした。
日が落ちて暗くなった頃、父が帰って来ました。
電気点かない暗い部屋の中、「大丈夫だったか?皆んなとは連絡取れたのか?」と少し息を荒くしていました。
時間が経ち、家族全員無事という事が分かり、安堵した事を覚えています。
停電の影響でコンビニやスーパーはレジが使えず、お店の方は電卓で会計をしていました。
飲料水、お菓子、乾電池。
次々と売ってる物が減り、日持ちしない物と激辛の食べ物が売り残っていました。
次の入荷日は未定。と書かれた段ボールがポツンとありました。
そんな状況の中、移動販売式の豆腐屋さんを見かけました。
「何か買っておかないと」と思った時、「こういう時はお金はいらないよ。おからしかないけど、良かったら食べて」と薄い袋の中に入っていた「おから」は冷たかったけど、どこか温かく美味しかったです。
人が嫌いな自分がこの時、良い人もいるんだなと感動しました。
父は食べ物を扱う仕事なので、缶詰を毎日少し持って来て食べました。
震災直後だからこそ、食べ物が流通しないといけません。
なので毎日仕事に行っていました。
今思うと震災を経験したからこそ、父や家族、人と向き合う大切さを学べたと痛感しています。
大人になり東京へ転勤しました。
二輪の教習所に通う事を伝えると最初は反対されました。
「好きなようにやれ。お前の人生だ。ただし人のせいにはするなよ。」
この言葉は父の昔からの口癖です。
この時も同じ言葉を言っていました。
免許取得後、その日のうちに納車。
暫くしてコロナも流行っていたので、バイクで帰省しました。
「うおおお!かっこいいじゃん。王者の風格だな」とバイクを褒められました。
この時、昔バイクの画像をデスクトップにしてたのを思い出しました。
父が欲しかったバイク。
父は自分の欲しいものや、したい事を我慢し、家族に還元してきました。
自分は東京でコツコツお金を貯めました。
そしてお金も貯まり恩返しをする時です。
まさか自分がバイクの免許を取得し、色んな人と出会って、こうして父と2人で走るとは思ってませんでした。
父と話す機会も増えました。
HONDAさん、良いバイクを作ってくれてありがとうございます。
これから先、暖かい季節になるので一緒に走って、沢山話をしていきます。
さて!後半のインプレ部分は特にグダグダな説明なのでご了承ください🙇♂️
CB1300は駐輪場がない為、ホンダドリームで冬季保管してます。
しばらくは乗れなさそうです💦