1991年2月11日岡山県和気町
中山サーキットの天気
AM8時の気温 5.4℃
PM14時の気温 11.6℃
曇り
【NA250&NAF3】
タイヤウオーマーのない時代。タイヤはSPタイヤがダンロップだとライディーンGPR10の時代。予選では前日までの雨により、コース上にウエットパッチが残る。そんな中、予選は始まった。大阪のレーサー250クラスの大西が後方排気のTZ250で順調にラップを重ねる。半周差で地元ライドオン岡山の服部(NAF3 NSR250RK)を完全プライベーター杉原(RS250)が追い駆ける展開。後方集団では横田(RS250)、山田(VFR400R)他が団子集団でタイムアタックを行っている。山田は前年の鈴鹿4耐で3位に入った新鋭だ。川端(NSR250RK)、佐野(TZ250)は単独でアタックを行っている。そんな中、服部が徐々にペースを上げる。服部は今回から2stマシンに乗り換えている。昨年まではFZR400RRでSP400を戦ってきたライダーだ。過去に中山シリーズタイトルを奪取した腕の持ち主だが、エンブレの効かない2stをどう乗りこなすか?に注目されていた。予選中盤、ピットがざわつく。なんと服部が絶対コースレコードの1分01秒3をたたき出したのだ。レーサー250を抑えての見事なタイムアタックだった。引っ張られて出したタイムではなく、単独で出したタイムである。中山のヌシは何に乗っても速いことを証明した瞬間であった。
決勝では大西が独走で逃げ切り、服部はたしかエンジントラブルでリタイヤとなったが、次戦に期待だ。(次戦は4月であったがWETコンディションでタイム更新はならずだった記憶がある。)
日本ロードレース界、地方選手権における最後の戦国時代。それが1991年だ。地方のサーキットに総勢200台~600台が集まって腕を競った時代の最終章。それ以降は徐々にレース人口は激減したが、このころまでは各地サーキットで熱いバトルが繰り返されていた時代。
ライドオン岡山にその生き証人が今もレジに立っている。それが店長の服部さん。今回はそのご厚意で当時のVHSテープを入手した。ぜひお店に寄ってバイク関連のパーツやグッズを購入してほしい。ライドオンで1万円以上ご購入の方には、これ以外のレースのYOUTUBEのURL(限定公開分)をこっそり教えます。ライドオン岡山でお金を使ったことがわかるレシートをメールくださった方にはURLをお送りいたします。あくまで私は単なるレースマニアであることをお忘れなく。何の義理もありません。ただただ、ライドオン岡山をこれからも応援するだけのおっさんです。