2000年5月、コロシアム2000で、船木誠勝が、ヒクソンに敗退したことを受け、なぜ長州力はヒクソン戦を決意したのか。そしてなぜドタキャンしてしまったのか。
まず、ヒクソングレイシー対髙田延彦戦で、髙田が、なすすべなく敗戦した。プロレス界はこの敗戦を、あくまで対岸の火事として留めておきたかったが、次第にK-1やPRIDEの格闘技がブームとなり、プロレスは押されはじめ、新日本プロレスの人気も下火になってしまったことで、観客動員数もどんどん減ってきていた。
そこで、オーナーだったアントニオ猪木が、暴走王・小川直也を軸にして、格闘技色の強いプロレスへの転換を図った。テレビ朝日も、他局と比べて格闘技中継に乗り遅れたのもあって、新日本に対して、MMAをやるべきと求めるようになっていた。
そんな時、テレビ朝日は、ヒクソングレイシーの代理会社から、ヒクソン戦の放送を持ちかけられていた。ヒクソンは髙田戦以来、PRIDEを離れ、2000年5月にはテレビ東京が主催する「コロシアム2000」で、船木誠勝と対戦して勝ったものの、観客動員が思ったより入らず、収益が良くなかったため、テレビ東京は、格闘技イベントから撤退してしまった。
テレビのバックアップを失ったコロシアム実行委員会は、格闘技中継に乗り遅れたテレビ朝日と接触、テレビ朝日の中継でヒクソンの試合を放送させようとしていたのだ。