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【呉座勇一の日本史講義】『SHOGUN 将軍』エミー賞受賞記念:石田三成はなぜ敗れたか(前編)

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中編はこちら↓ https://www.youtube.com/watch?v=NXU5eXvsVVY 江戸時代以来、石田三成評価の基調は「奸臣」でした。 豊臣秀吉の威光を笠に着て横暴にふるまった悪人、というイメージです。 これは当然のことでした。 江戸幕府の創設者は徳川家康であり、 三成は家康の天下取りを阻止しようとした人物ですから、 家康が正義で三成は悪という評価にならざるを得なかったのです。 こうしたイメージの転換に大きく寄与したのが、 司馬遼太郎の歴史小説『関ヶ原』です。 司馬は三成を豊臣の忠臣と位置付けましたが、 一方で潔癖すぎて清濁併せ吞む度量がなく、 生真面目すぎて臨機応変の才に乏しい人物として描いています。 しかし司馬の見方も、 三成が「敗者」になったという結果から逆算して、 三成を不当に貶めているように思えます。 三成は本当に愚将、凡将だったのか、 近年、急速に進んだ関ヶ原研究の最新成果を踏まえて、 3回にわたって再検証していきます。 第1回は、 豊臣秀吉の死没から、 七将襲撃事件による石田三成失脚までを扱います。

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