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【合戦解説】三州錯乱【前編】 〜藤波畷の戦い〜 松平 vs 吉良 〜 三河岡崎城に戻った松平元康は宗家当主として領土を守るべく立ち上がる 〜

YUKIMURA CHANNEL 601,439 2 years ago
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時は戦国時代 後期 上洛し将軍 足利義輝との繋がりを強化した織田信長は 父 信秀が成し得なかった国主に就くべく尾張全土の征圧に本腰を入れた。 永禄元年(1558)11月 信長に降伏後も なおも謀反を企み続けていた 弟 信勝を清洲城に呼び寄せ殺害すると 翌永禄2年 4月 尾張守護代 岩倉織田家 当主 織田信賢を尾張から追放 信秀死後 7年続いた織田一族の内乱に終止符が打たれた。 信長は休むことなく次なる策を実行に移す。 それは 同盟先の水野領とを遮る 今川領の鳴海城と大高城を囮に 今川義元を誘い込み討ち取ってしまおうという大胆な謀であった。 尾張知多郡を支配する水野信元の偽りの降伏を信じた義元は 自らが向かえば 信長もやってくる そこを大軍で討ち取ってしまおうと目論み挙兵。 駿河 遠江 三河 各地の国衆らが合流し 尾張に入る頃には25000を超える大軍となっていた。 義元は 自らが囮になる事を決め 隊を分散させ挑発するも、一向に城を出てこない信長に呆れ 大高城に戻ることを決める。 その報せを聞いた信長は 馬廻衆ら精鋭2000を率い出陣。 雨を嫌い桶狭間山で休息する義元本陣めがけ突撃すると 油断しきっていた今川兵はあっという間に離散。 旗本衆とともに逃げていた義元も じきに追いつかれ討ち取られてしまった(桶狭間合戦) 総大将 今川義元 討死の報に今川諸将は一斉に遠江 駿河へ撤退を開始 大高城の松平隊 鳴海城の岡部隊も撤退を余儀なくされ織田信長は 僅かな犠牲で 尾張からの今川一掃を成し遂げた。 褒美に鳴海城を与えられた佐久間信盛は 信長からの新たな命を受け 刈谷城の水野信元を訪ねた。 [ご覧になられる方へ] ※個人制作となりますので誤字脱字等ありますことご了承ください ※通説に基づきつつも一部ユキムラ流に脚色を加えた合戦解説となります ※合戦や物語の出来事は諸説あります ※制作の都合上全ての情報や登場武将を網羅してはおりません ※登場人物名は改称時期に拘らずわかり易い表記で記載しております ※演出時に大きな音が出る場合があります ※2023年時点での歴史資料を元に作成しております #戦国時代 #合戦 #歴史

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