【ミステリー】大暴動のソウル。猪木vs韓国の馬場 パク・ソンナン。なぜ試合前に勝ち負けで揉めに揉めたのか? #猪木 #長州力 #前田日明 #タイガーマスク #プロレス
「世紀の一戦」といわれた、アントニオ猪木対モハメド・アリの異種格闘技戦が日本武道館で行われたのは、1976年6月26日のことだった。
ボクシング世界チャンピオンと日本を代表するプロレスラーとの戦いは日本中の注目を集めた。ところが、猪木はマットに寝そべり、アリは挑発するばかりで見せ場を欠き、“世紀の凡戦”と酷評された。
しかし、その後の取材によってこの試合が本物の真剣勝負であったことが知られるようになり、現在では「日本の総合格闘技の原点」として高く評価されている。
この1976年には、猪木のレスラー人生を彩る武勇伝として語り継がれている事件がある。猪木曰く「目ん玉を刳り抜いちゃいました」という、10月に韓国で行なわれたパク・ソンナンとの2連戦である。
未払いのギャランティを巡ってアリ側との訴訟沙汰となった新日本プロレスには、総額9億円もの大借金が残された。「ボクサーのパンチを怖がって寝てばかりいた」と、猪木の評判も地に墜ちてその後の興行も不入りが続き、テレビ中継の視聴率も低迷した。
苦境に陥った猪木のもとに、韓国遠征のオファーが届いた。10月にパク・ソンナンというレスラーと戦ってほしいというのだ。
身長198cm・体重125kgのパクは「韓国の馬場」と呼ばれ、体格や顔だちがジャイアント馬場とよく似ている。そして、パクも馬場もアメリカで成功したレスラーであった。
アメリカ人の観客はわかりやすさを好む。アメリカン・プロレスに必要なのは、有色人種の悪役だ。悪く卑怯な有色人種を倒すからこそ、アメリカの正義が光り輝くのだ。
東洋の大巨人「ビッグ・ババ」は悪役レスラーとして全米でひっぱりだこになり、メインイベントに登場すればすべての会場が超満員。対戦相手も当時の超一流レスラーばかりで、1試合で2万ドルを稼ぐこともあったという。
パクも、韓国武術のテコンドーをあやつる東洋の大巨人という、わかりやすい特徴を持った悪役レスラーとしてアメリカにすぐに受け入れられた。
1974年6月には、アメリカ遠征を行っていた馬場のタッグパートナーにも起用され、ザ・ファンクスのインターナショナル・タッグ王座にも挑戦している。
当時のパクはこのように脂の乗りきった時期で、韓国への凱旋帰国にあたり、アリとの世紀の対決を終えた猪木とのマッチメイクでさらにその名を上げようとしていた。
↓応援頂けるスポンサー様 お問い合わせはコチラから
[email protected]
#猪木 #長州力 #前田日明 #タイガーマスク #プロレス