自力は自分の修行した力、他力は仏様にお任せすることで、日本の宗派は例外なくこの自力と他力を合わせていると思われます。しかし、一方で浄土系の方は、真言・天台・禅宗などを聖道門として自力で悟りを目指す宗派として位置づけ、阿弥陀様の慈悲に救いをゆだねる自分たちを他力としています。ただ、こんな話があります。「気づけ!気づけ!と、それこそ24時間365日休みなく、私に問いかけてくる願い。願われた私は気づかなくてはなりません。その気づきは、阿弥陀如来が姿を変えた、私が出会う全ての出来事・事例・感情であります。」これは、ある浄土真宗の僧侶の方が言われた他力の説明ですが、しかし、「大日如来様は絶え間なく説法をしており、あらゆる事象に姿を変えて自分の前に現れる」という真言宗の教えをさらに自分が積極的に捉えるべきという自力救済に重点を置いた考え方ともいえるので、これが他力かという疑問を持ちました。
大愚和尚の一問一答/Osho Taigu’s Heart of Buddha
https://www.youtube.com/@osho_taigu
仏教に学ぶ幸福論 by 菊谷隆太
https://www.youtube.com/@byBuddhism
「大愚和尚の講演会」3.16
1か月くらい前、大愚和尚さんの講演会があり、お話を聴いてきました。また、主催の方の計らいで、その後の座談会にも参加させていただきました。大愚和尚さんは、仏心宗という禅宗系の福厳寺の住職さんで登録者数61万人の『大愚和尚の一問一答』を運営されている仏教系のトップYoutuberです。ただ、私自身は大愚和尚さんの動画をあまり見たことがありません。内容も仏教的に深いとは言えませんし、視聴者の相談を読み上げて、ダラダラ話しているようなイメージがありました。ところが、それが驚くべきことに大愚和尚さんの設定でした。相談は直前まで読まず、撮影の時にはじめて見て、それに対し考えたことを話していく。実際の悩み相談などは、電話だったり直接訪問されたりしますが、あらかじめ相談内容が判っているわけではありません、その場で聞いた内容にその場でお返事します。その実際の相談のスタンスで動画を作られているということです。私は逆に原稿を作り、リハーサルも行って編集もして作りこんでおりますので、以前の動画(ゆうき和尚は実在しない)でもお話したように、実際の私とゆうき和尚はかなりかけ離れておりますが、大愚和尚さんは、動画で見る感じそのものです。ご本人は「練習などない」と言われておりましたが、この辺りは禅宗の僧侶らしいと思いました。また、悩み相談に対するスタンスも興味深く、相手の考えを変えてしまうことは難しい、視点を少しだけずらしてあげればよいといわれて、なるほどと思いました。私自身も悩み相談を受け付けているわけではありませんが、それでも電話や直接お寺へ来られて悩み相談をされる方が時々あります。しかし、実は仏事や仏教以外では相談されても困ると思っておりました。その人の悩みに対して的確にアドバイスをするためには、様々な知識がいりますし、また、カウンセリングの技術も要ります。そういう意味では私などの出る幕などないと思っておりましたが、大愚和尚さんの話を聴く限りでは、そこまで難しいことは要らないと思いました。これは私だけに限らず、一般の人でも同じと思います。自ら命を絶つような場合、社会に危害を加える場合には、少しだけ視点をずらせば、それを避けることは可能なので、そのような人の話に耳を傾ける余裕を持つことが大切だろうと思います。
「バーチャルと仏教と仏事 寺院と檀信徒のあり方 般若心経は説く ゆうき和尚は実在しない」
https://youtu.be/wH1ynvsQAPU
「大愚和尚をどう見る?」7.08
大愚和尚さんは仏教系の大学院まで卒業されておりますが、一方ではそこまで仏教には詳しくないと私は感じています。仏心宗というのは聞きなれない名前ですが、元は禅宗である曹洞宗です。大愚和尚さんはお寺の出身で、18歳でお寺を出られ、38歳でお寺に戻られたそうです。現在50歳ぐらいで、8年前に住職になってすぐに曹洞宗から独立されておりますので、あまりお寺のことなどにも詳しくないという指摘もあります。この独立の経緯をお尋ねしたのですが、「曹洞宗ではしたいことができない」という話でした。
その理由についてお話します。各寺院は寺院規則というものを持っております。この寺院規則というのは会社でいうところの定款に当たるものと考えてください。このお寺は何をするかと目的が最初に書いているのですが、私のお寺では「真言宗○○派の教義を広め~」と書かれております。しかし、具体的に何をするか明確ではありません。したがって、社会通念上認められるお葬式や法事などのお布施は非課税ですが、それ以外の事業は基本的に課税される。大愚和尚さんのところでは、禅のセミナーをされていたのですが、セミナー費用のみならず固定資産税(庫裏と思われる)まで掛けられて争った結果、その寺院規則を変更する必要が出てきたそうです。しかし、その変更を、曹洞宗が認めないのではないかということで、独立に至ったそうです。この寺院規則の寺院の目的が曖昧になっている問題は、これから先、寺院が生き残りを図るために、従来の葬式仏教から脱却を目指したときに直面する問題と大愚和尚さんは言われておりましたし、私もそう思いました。ただ、大愚和尚さんは一般には、独立した経緯について、「葬式仏教から本来の仏教に帰る」と言われておりますが、その時はお話されなかったので、そこが引っ掛かります。そういう意味では『大愚和尚の一問一答』というのは、相談に答えるスタイルですが、一種のエンタメと思いますし、お寺でのセミナーも仏教に深く触れるというより雰囲気を感じるというレベルかもしれません。
「菊谷隆太師は他力?」10.57
菊谷隆太さんは『仏教に学ぶ幸福論 by 菊谷隆太』というチャンネルの運営者で登録者数26.6万人というこちらも仏教系では巨大チャンネルです。大愚和尚さんは、私のチャンネルの視聴者の方は見てないようですが、菊谷さんは見ている方も多いようです。また、菊谷さんは「仏教に学ぶ幸福論」というチャンネルを運営されていますが、それは仏教とは違うだろうということで私は「仏教は幸福を求める教えではない」という動画を二本作っております。大愚和尚さんとは分野も違っておりますが、菊谷さんとは同じ仏教解説分野で、近い部分がありますので意識はしています。菊谷さんは仏教についてはよく勉強されていると思いますし、話し方も上手いと思います。ただ、なぜ最後で強引に親鸞聖人の教えに結びつけようとするのか?そもそも、お釈迦様の教えでは今の時代は悟りを得られないということで、他力の教えを説いたのが親鸞聖人なのに、なぜ先祖返りをするようにお釈迦様の教えを説くのか?これは菊谷さんだけでなく、他の浄土真宗の方にも感じる疑問です。冒頭で紹介した「24時間365日休みなく、問いかけてくる阿弥陀如来様の願いがあり、それを自分が全ての出来事・事例・感情としてうけとめる」というのは、真言宗では加持です。加持は、仏、菩薩の力が信じる人の心に加わるのが「加」それを受けとめることが「持」です。ですから、他力の教えは阿弥陀様の慈悲によるので「戒も修行も要らない」などと誤魔化さないで、自分が戒を授かって必死になって修行して阿弥陀様の智慧を受けるにふさわしい僧侶になるべきではないかと思います。菊谷さんの話に戻りますが、菊谷さんはいかに幸福に生きるかという知恵を仏教から引いて説いているだけで、本来の苦を除く仏教とは違うように思いますし、それが他力かといわれると疑問を感じてしまいます。
仏教は幸福を求める教えではない 生きるための瞑想 生死を超えた瞑想
https://youtu.be/xIJ8UEFgm0s
仏教の基本「十二因縁」苦からどう離れる 仏教は幸福を求める教えではない2
https://youtu.be/4MJWV_ltK8M
「自力と他力」14.18
大愚和尚さんと菊谷さんについて見てきました。どちらかというと本来の仏教に帰ると説いて、修行などを勧める大愚和尚さんが意外に仏教色が薄く、悟りを目指す修行から離れた親鸞聖人の他力の教えを元にする菊谷さんが、逆に戒律と修行に基づいた初期仏教を説いているのは、面白いコントラストと言えるのではないでしょうか。日本の仏教で聖道門といわれるのは、真言・天台・禅・日蓮などの各宗派ですが、すべての宗派が自力だけで悟りを目指すわけでなく、仏様や神様を祀りその力を受けながら修行しております。一方で浄土門といわれる阿弥陀様の慈悲にすがり極楽往生を目指す宗派であっても修行は必要と言われております。唯一、親鸞聖人の教えを守る宗派のみが、戒律や修行を捨てておりますが、現実には、何もしていないということはありません。その昔、真言宗や天台宗・南都六宗などが難解な教義と厳しい修行を必要とした時代に、民衆に対しても門戸を開いたのが誰でもできる念仏修行を説いたのが浄土の教えでしたが、時代は変わったと思います。
専門家の僧侶が少なくなったと同時に、一般の人も仏教の教義を学び修行も行う時代になっています。現在では僧侶と一般の人の差も小さくなって時には逆転していることもあるでしょう。ですから、今は自分の修行の側面を強調しているのが自力、仏様の慈悲にすがることを重視しているのが他力で聖道門と浄土門には大した違いがないように思います。そもそも、本尊様を祀って拝む行為自体が、自力と他力が一体化した姿であり、どちらか一方に偏っていることはないように思います。
「まとめ 大愚和尚と菊谷師を取り上げた理由」17.03
なぜ、この二人を取り上げたか?その理由は二つあります。まず、ただのひがみかもしれませんが、この二人がそこまで伸びる理由がわからないというのが一つ、もう一つは、香林院の宗信(そうしん)和尚さんが、この二人を取り上げられておりますが、辛辣なコメントが多いのに驚いたというものがあります。実はこの二人には共通点があります。それは、葬式仏教を批判して信者を集めようとしているということです。その是非については申しませんが、「お経をあげただけでお金を取る人がいる」という批判で視聴者を集めている人が、視聴者を意外に多く集めている点については仏教界として真摯に受け止めるべきと思います。ただ、葬式仏教批判が本当の仏教につながっているかは疑問です。私のチャンネルにも葬式仏教批判のコメントを書かれる方が少なくありません。しかし、仏教を理解していると思われる人、また、熱心な仏教者と思われる人には、一度も出会ったことがありません。言葉は悪いでですが、批判が目的の人に見えます。仏教的に言えば、三毒(貪瞋痴)の痴といえます。大愚和尚さんと菊谷さんは現在の葬式仏教に不満な人の心を捉えたと言えるわけですが、仏教自体を説いているかといわれると先ほど述べたように疑問が残る様に思います。現在の葬式仏教に問題がないとは言えません。だから、不満を持つのは構わないのですが、葬式仏教がすべてが間違いで、よい部分を全く見つけられない人がいたとしたら、実は別の教えに触れたとしても、やはり不満の方が大きくなってしまうことになりかねません。批判や不満はあくまで批判や不満であって何も生みません。また、怪しい宗教は「あなたは幸福ですか?」が常套文句です。幸福を求めても得られない、批判しても満足できない。この二つは貪瞋痴の貪と瞋のように私は思います。
#真言宗
#弘法大師
#大愚和尚
#菊谷隆太
#貪瞋痴
#三毒
#仏教
#自力
#他力
#浄土真宗
0:00 オープニング
3:16 大愚和尚の講演会
7:08 大愚和尚をどう見る?
10:57 菊谷隆太師は他力?
14:18 自力と他力
17:03 大愚和尚と菊谷師を取り上げた理由