津軽山唄歌詞
-イヤーイーージャアー十五や 十五や七がヤエー 十五になるから 山 山登りヤエー山を登るに 笛 笛吹けばヤエー 峰の小松も 皆 皆なびくヤエー
イヤーイーージャアー津軽 津軽富士ヤエー 冬は真白く 春 春青くヤエー夏は墨染め 秋 秋錦ヤエー 衣替えする あざ あざやかさヤエー
イヤーイーージャアー炭焼き 炭焼きがヤエー 独り奥山 山 山暮らしヤエー花も木の葉も 枯れ 枯れ果ててヤエー 里の日暮れは 淋し 淋しかろヤエー
イヤーイーージャアー木枯らし 吹くころはヤエー 時雨木の葉が 降り 降りかかるヤエー雪も間近い 山家 山家侘びしかろヤエー 里でいとし子 寝付く 寝付く頃ヤエー
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青森県津軽地方の祝い唄, 菅江真澄の(毛布の狭布.天明五年)によれば、岩手県岩手郡玉山村付近の搗臼唄に(一五七が沢をのぼりに笛をく..)の唄を聴いた、とあるが真澄の「鄙廼一曲.ひなのひとふし」には(同じ国風俗津刈{津軽}の一五七節)として(一五七は今年初めて山登る..)以下六章の歌を収載しているので、この唄が元来、春の若草を取りに行く男女の山遊び唄なのか、木樵唄であるのか、または祝い唄であるのか定めがたい。ただ歌詞から見ると、やはり深山で伐った倒木を、急流激湍に流しながら唄われた、木樵唄のように思われる。実際には.岩木川.赤石川などで、春の雪解け水を利用して、倒木を流す管流しのさいに唄われたものであろう。岩手県の岩手.二戸.九戸地方では陽旋律とも陰旋律ともつかぬ節で唄われるが、昔は岩木川を中心として東通り(陽旋律).西通り(陰旋律)の二種の曲節があった。現在は西通りの節が主流で哀調のこもった中に、津軽地方独特のユリの技巧が加わった繊細な節回しの唄となっている。(雄山閣 日本民謡大事典より)