日本の城を楽しむサイト スタジオクルワはこちらhttps://studio-kuruwa.com/
1582年3月。武田勝頼は未完成の新府城に火をかけます。攻め寄せる織田信長の軍勢を前にしてとても守り切れないと判断したからです。勝頼が目指したのは甲府の東にある岩殿城。古くからの武田家臣、小山田信茂の城です。しかし勝頼一行の前に現れたのは笹子峠を封鎖する小山田の兵。行き場を失った勝頼は天目山を目指す途中で織田の兵に囲まれ、田野の地にて自害。戦国最強と言われた武田家はここに滅亡します。本拠を失いボロボロになった勝頼が目指した岩殿城とはいったいどのような城だったのでしょうか。今回は山梨県大月市にある岩殿城を紹介します。この城、もっと早く行こうと思っていたのですが、ついつい足が向かず、今まで延びてしまいました。登るのがとても大変そうだったからです。国道20号からでも中央高速からでも見える異様な岩山。あんなところまで登りたくないというのが正直な気持ちです。ですが、天気がよくタイミングも良かったので意を決して登ってきました。無事山頂まで行くことができ城の遺構も見学しましたが、調べてみるとこの岩殿城は山の上だけでなく麓にも自然地形を利用した驚きの防御ラインがあったことがわかりました。そのあたりも紹介できると思いますので、是非最後までご覧ください。