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【広島県重要文化財】福山市常國寺の唐門

加藤慈然 1,363 lượt xem 2 years ago
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本動画は、令和4年4月7日に収録されたものです。
令和4年2月24日、広島県重要文化財に指定された『常國寺唐門』の紹介を中心に、明治12年から始まり今年で144回を迎える「漸読千部会法要」の準備の様子や、過去5年間の千部会法要、寺内のスライドショー、第四十世住職濱田壽教上人の読経や法話をご覧いただけます。


常國寺の歴史
廣昌山定親院常國寺は、広島県福山市熊野町にある日蓮宗の寺院です。
文明年間(1469~1487)当時、沼隈半島一帯を領有していた
渡邊越中守兼(わたなべえちゅうのかみかね)により建立されました。
渡邊兼は、若い頃、京で日親上人の説法に感動し、帰依しました。
兼はその後、備後の地に戻り勢力を盤石なものにしていきます。
ある日、兼は領内で旅の僧が辻説法をしていると知らされます。
早駆により兼が拝したその姿は自らの信仰の師、日親上人でした。
兼は上人を館へ招き、自邸を寺院とする事を願い出ました。
こうして、常國寺は日親上人を開山と仰ぎ、渡邊一族が開基檀越となり
創建されました。

平成三十年六月十二日、「日親上人西国布教の道場」として日蓮宗宗門史跡
として指定されました。


常國寺の唐門
室町幕府最後の将軍足利義昭は、織田信長に京を追われ天正4(1576)、
備後の国に逃れました。義昭は12年間の備後滞在のうち3ヵ年、
常國寺を御所としました。
この唐門は地域の皆さんから、『将軍門』と呼ばれ親しまれています。
建立年代は不明ですが、将軍家から寄進されたものと伝わっています。
現在のこの姿は江戸時代元禄の頃、営繕再建されたものです。


渡邊越中守兼と皆法華・「講中題目」
開基渡邊兼は、強情な信仰を持ち山田荘(現・熊野町)を支配しました。
その宗教政策は、領内寺院および領民全てを法華宗(日蓮宗)とし、従わない者は追放するという徹底したものです。所謂「皆法華」です。
渡邊氏は一乗山城(黒木城)の城主として五代(兼・房・高・元・景)にわたりこれを継承しました。現在でも常國寺飛地境内には、成親閣時見堂(日親上人辻説法跡)、黒木七面堂、寺迫薬師堂、池之内毘沙門堂、同観音堂、上之原妙見堂、同観音堂、込山毘沙門宮、土城最上稲荷堂、大富観音堂(十一面観音)、原曽根清正公堂、小林鬼子母神堂、鴨尾三十番神堂、金持観音堂(十一面観音)、高下妙見堂、同観音堂(千手観音)他、大小の堂宇が多数点在し、各講中・地区にて法味(法華経)が供えられます。
常國寺開闢以来500年を経過した今日でもなお、「皆法華」である熊野の地は、講組織(旧三ヶ村、十三地区、三十七講中)と、「講中題目」の伝統を重んじ、日親上人巡錫以来の題目信仰を、報恩と感謝の心で誇りをもって継承しています。


千部会(せんぶえ)
明治十二年(1879)、時の総代・宮澤伝兵衛翁の発願により、「法華経読誦漸読千部会」が創始されました。
毎年四月上旬の五日間(昭和四十一年までは十日間)、総代(檀信徒)の主催により開催されています。
昭和十二年の開山日親上人第四百五十遠忌法要当日は、県外からの団体参拝もあり、三千五百名の参詣記録が残されています。
近年では、「報恩法要」、「世界平和祈願法要」などが奉行されています。
平成五年からは、地元の小学生(新一年生)を中心に、稚児行列と天童法要(地域住民が児童入学を祝う法要)も行われています。子供たちの成長を祝い、命を尊び、平和で安穏な世界を願う「天童法要」は、今では地元地域の春の風物詩となりました。

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