太平洋戦争末期の沖縄戦で、首里城(那覇市)の地下につくられた日本陸軍第32軍の司令部壕内部が報道用に公開された。県民の4人に1人が犠牲になったとされる沖縄戦の指揮をとった壕の内部には、75年の歳月を経ても戦争の痕跡がとどめられていた。
地下壕を管理する沖縄県は崩落の恐れがあるとして立ち入りを規制しているが、今回は戦後75年を機に地元報道陣に公開。NHKが報道各社を代表して内部を撮影した。
代表撮影は6月30日、「第5坑道」から入構。内部には落盤を防ぐ「支保工」が張り巡らされていた。壕で使われたトロッコのレールの枕木や銃身なども残されていた。最深部にあたる150メートル付近は土砂が階段状に崩れ落ちており、撤退時に日本軍が爆破した跡と伝えられている。
壕は1944年末~45年に構築され、総延長約1キロ。将兵や学徒ら1千人余がいたという。米軍の攻撃に圧倒され、5月下旬には32軍はほぼ壊滅したが、首里からの撤退を決め、本島南部で持久戦を続けて住民の犠牲を膨らませた。
県は壕を「沖縄戦の実相を伝える戦跡」と位置づける。公開の適否や発信のあり方を検討する委員会を年度内に立ち上げる。
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