俺は日本で働いていた頃に「アメリカの製薬会社で働く」ってのにすごく憧れを感じ始めてたから、言いようによっては俺は本当に運が良くていわゆる夢の仕事を手にすることができた。
どこかアメリカの会社に「スマートさ」みたいなのがあるように夢見てたけど、こっちにきてその「日本と比較したスマートさ」を感じたことは一回もない。俺がいうのも本当に烏滸がましいんだけど。
組織の中で仕事をしてると、このプロジェクトやっててもうまくいかないんじゃないかな、薬にはならないんじゃない、って思っててもとりあえず社内政治的な理由でやらなきゃいけない。
やらなきゃいけないどころか、自分がいいと思っていないものをリーダーとして「これはすごく有望なテーマです、ぜひテーマ承認お願いします」みたいにプレゼンしていかなきゃいけない。それを否定されても、無理やりそれを守らないといけない。
俺は結構自分の考えじゃないものを自分の考えかのように言わなきゃいけないみたいな状況がめちゃくちゃフラストレーションに感じるタイプで、だからまあそういう場面を日常的に経験すると、正直「日本といた頃と変わらない。そこまで楽しくない」っていう感想になるかな。
だからなんか「気乗りしない」みたいな日々が続いて、仕事を必要以上に頑張ろうとかもっと新しいテーマ出すために勉強しようとか思えなくて、俺が日本の会社で働きながら感じてた不完全燃焼みたいなのを結局また感じるようになっちゃったのね。なんのために仕事してるんだっけ、みたいな。
ああ今日も会社行きたくないなって言いながら家を出る日々。
日本にいたあの時は、アメリカで学生やるっていう自分の中でのキャリアアップ的な選択肢があったからこっちで大学院生になった。
学生ってさ、卒業するっていうわかりやすいゴールがあるのよ。何年かかるかわからないけど研究を軌道に乗せて発表してPhDとろう、みたいな。
俺の場合7年かかったけど、まあそれでも長い人生から見たら短距離走あるいは中距離走みたいな感じで、とりあえず卒業に向かって走ってた。
卒業したら何かがあるはずだって。自分の人生いい方向に進むって。まあそこまでじゃなかったとしても、とにかく卒業という目標に対して疑問を持つことはなかった。
「大学院、本当に修了していいんだろうか」「中退した方がプラスなんじゃないか」とか思うことはなかった。
だから俺のチャンネルを今まで見てくれてた人も、「頑張ってる姿にモチベもらいました」とか「応援してます」とか言ってくれてたんだと思う。
正直大学院生時代も研究に明け暮れてたわけじゃなくて結構ゆるゆるに過ごしてたつもりだけど、それでも着実に卒業には近づいてるわけだし、一応真っ直ぐ目標に向かっている姿として応援してくれてたんじゃないかな。
改めてみんな応援してくれてありがとう。
じゃあ今のおれはどうなんだって。動画を見てくれるみんな以外にも家族とか友人とか、いろんな人に頑張ってね、卒業おめでとう、就職おめでとう、これからの活躍を祈っています、とか
すごくキラキラした言葉をたくさんもらったのに、そんな言葉に見合わないくらい今の自分キラキラしてないなって思って辛くなる時がある。
卒業っていうわかりやすいゴールがあった学生時代と違って、今の会社生活でゴールみたいなのが見えなくて、ゴールのないマラソン走ってる感じ。
大きな海に出るんだって言って川の流れに沿って泳いでいたのが、そのうち広い海に行き着いて、じゃあどこに向かって泳げばいいんだろってなってる感じに近いのかな。わかんない。
もっと正確にいうと、例えばとりあえず昇進しようみたいなゴールを決めうちで設けることはできるんだけど、なんかこのゴールほんとに達成したいのかな、みたいにゴール自体に疑問を持っちゃう。
じゃあ例えば俺の場合は製薬会社だから、会社のビジョンでもある「新薬を創生する」みたいなもっと先のことを俺自身のゴールに設定するのが正しいのかもしれないけど、今度はそうすると、「え、このプロジェクトはうまくいかないよね、、、」みたいにゴール達成できなくね?て思って信じられなくなったらもうその仕事嫌になっちゃうのね。
人から何の仕事してるの?って聞かれた時に、「俺は製薬会社で人の命救うための研究してるんだ!」って胸張って言えない。
夢の仕事だと思ってたアメリカの製薬企業研究員だけど、もしかしたらこれは俺のやりたい仕事じゃないんじゃないか、なんて考えるようになってきた。それで最近本とか読んだりしてマジでずっと考えてた。
漠然とかっけーと思ってたのね。アメリカの会社で働くことが。
日本でこの大学行ったらかっけーよなって思って大学に行った。うちの科類から薬学部行くの当時は難しかったから、薬学部行ったらカッケーよなって思って進学した。
修士にいた頃は外コン外銀行けたらかっけーなっていう理由だけで何社か受けたけど、結局全部落ちちゃって、じゃあまあ製薬の研究職もかっけーかなって思って受かったから行った。
で、アメリカの大学院行ったらかっこよくね、って思って行ったし、アメリカの会社で働いたらかっこよくね、って思ってこっちに就職した。
他人からすごいね、かっこいいね、て言ってもらえそうなことばっかり追い求めてて、自分の中での軸みたいなのがなかったのかもしれない。
もちろん自分の得意なことや苦手なこと、あとは好きなことや興味のあることとかに沿った中で選んでたつもりだけど、でも最終的にかっこよさ、みたいなのを追っかけてた。
でもそうやって他人からの評価軸で選ぶことをやってると、いつかその延長線上で何が「かっこいい」選択なのかわかんなくなってくる。それで何もやる気が起きない、みたいになってくる。
かっこよさを追い求めて生きてきた結果、今のおれめちゃくちゃかっこ悪い人生送ってるって思った。
人からかっこいいって思われたいって俺がずっと思ってたのは、突き詰めれば人からかっこいいって思われることで自分をかっこいいって思いたい、自分の生き方に納得したいとか胸張っていきたいってことであって。
でも結局どんなにいい洋服着てみて他の人にいいねって言ってもらっても、自分自身がその洋服に見合ってなかったら、やっぱり鏡を見てかっこいいって思えることはないのよ。
その洋服を手に入れて最初の数日くらいはテンション上がるけど、それに慣れたらまた自己評価は元に戻る。
これでまたSNSでよく目にするから経営者かっけーな、みたいなノリで自分の事業始めたりしたら、多分同じことの繰り返しになる。
だから今進路に悩んでるみんなに言いたいのは、「Xを選べばY」みたいな基準だけで選ぶのはやめた方がいいんじゃない?ってことです。
この職業に就けばかっけー、とかお金稼げる、とかパソコン一つで世界中から働ける、とかね。
職業に就くってのは内定もらって入社したらそこでクリアだから。その仕事を選ぶってことは、当たり前だけどその仕事をやるってことだから。Xを選んで実際に手に入るのはYじゃなくてX自体だから。
でっかいコンセプトみたいなものに憧れるのももちろん大事なんだけど、実際にどんな作業をするのか、それを苦じゃなくできるのか、を考えてほしい。
何になりたいか、じゃなくて何をやりたいのか。それから同じくらい、何をやりたくないのか。
かっけー、金稼げる、自由に働ける、自分が今なりたいなって思ってる職業にこういう憧れを感じてるなら、なんで自分がそれらに憧れてるのかを考えてみるといいかもね。
かっこいい職業につきたいっていうのは、もしかしたら自分の人生に胸を張りたいってことなのかもしれない。あるいはモテたいとか、東カレデートでたくさんの人とデートしたいってことなのかもしれない。それってその職業じゃなきゃ本当にダメなのかな。
お金稼ぎたいってのも、その金で何がしたいのか。将来の衣食住が不安だから稼げるうちにお金を稼いでおきたいのか、将来はとにかく働かずにのんびりしたいのか、旅行に行きたいのか。そのために本当に必要な収入はいくらなのか。
パソコン1台でどこからでも働けるのがいいなってのは、世界中を旅したいからなのか、田舎の生活費が安いところで生活したいからなのか。
自分がその先に何を求めてるのかっていうのを考えてみると、生活基盤の安心とか、家庭を築いていくこと、仕事に熱中すること、とか新しい世界への好奇心とか、他人が用意したかっこよさやお金っていう軸を追い求めてるようでも、そこには自分が人生で大事にしてるものが絶対あるから。
それの組み合わせが多分自分の「何のために仕事をする」っていうのに繋がってくるんだと思う。
ただ、こういう自分の価値観みたいなのって、別に無理やり考えなくてももう自分の中にあるわけよ。今までしてきた経験をもとに、これは大事だなとかこういうのは嫌だな、とかってのが自然と出来上がってる。
だから繰り返しになるけど、みんな何かしらの進路を選ぶよ。就職でも進学でも起業でもなんでもいいけど。選ばなきゃ行けない時が来たら、絶対選ぶ。選ばないとしたら、それは選ばないってことを選んでる。
問題は、それをその後にどのくらい納得できるかっていうことで、そのために自分の価値観を言語化できておいたほうがいいってことだと思うのね。
始めから自分の天職だ、みたいな職に就くことはほぼほぼ不可能だって。好きかどうか、得意かどうか、楽しいかどうかなんてやってみないとわかんないんだから。
そうやって進路を選んだ後に、「ああこういうところは好きじゃないな」「金はいらないと思ってこの業界に来たけど、あまりに切り詰めた生活だと仕事が楽しくても自分は人生楽しめないんだな」とかって思う瞬間が絶対ある。それが自分の中にあって気づかなかったあるいは浮かび上がってきた価値観として意識できる。
あるいは価値観とかじゃなくて、「そもそもこういう仕事は得意だと思ってたけど苦手だったわ」とか、「興味あると思ってたけどあんまり好きじゃなかったわ」とかも出てくる。
そういう自分の中で再認識してアップデートされた要素をもとに、またこれからどうやって生きていこうか、ってのを毎回悩めばいい。
「どうやって生きていこうか」みたいな問いに対する唯一の答えなんて一生出ないから。自分自身がアップデートされるんだから答えもその都度変わっていくし。
だからずっとその質問をし続けていればいい。ずっと仮説を立ててそれを検証していけばいい。ああ難しそうだなとかめんどくさそうだなって思ってても大丈夫、そういうめんどくさがるってのも含めて無意識に自分の中で優先順位つけてやってる生き方だから。
どうせ就職しても悩むから。起業しても悩むから。これでいいのかな。他でよかったのかな。とか。だからもう後悔のない正解を選ぶのは諦めろ。
自分の中にある全ての大事な価値観をみたす完璧な仕事、なんて存在しないから。
だから仕事でこれを満たしたい、仕事を楽しみたい、って思ったら、やっぱ上目指すしかないのよ。
「納得したい」みたいな自分のことばっかり考えてないで、他の人にどんな価値を与えられるかってことにフォーカスして自分を高めていくしかもうないのよ。そういうもんだと思って諦めて前向いてやるしかない。
思考より志高なの。
だからこそ前向いて周りの人に価値を提供できるような、重宝されるような自分のスキルや知識・能力をつけるっていう、その作業自体を「楽しむ」あるいはせめて「苦じゃない」レベルでできるかどうかを、これからの進路を選ぶ過程で考えてみてほしい。
あるいは進路を選んだ後に「今の仕事を楽しめてないな」みたいに悩んだら、「やりたいようにやれてるかは別として、今やってる作業自体やそこでの修練が苦じゃないか」みたいな問いを自分に課してみてほしい。
「選んだものを正解にする努力をできるか、楽しめるかどうか」
俺は進路を変えるかもしれないし今の場所にずっといるかもしれない。
いずれにせよ、俺は登り続けるよ。
君はどうする?なんつって