大島は平戸市の北屋久10kmの玄界灘に浮かぶ。的山(あづち)大島と呼ばれ、農業漁業の島である。「肥前風土記」には「大家島」と記され、古くから海上交通の要衝として知られ、遣唐使船も寄港している。的山湾は倭寇の中継地としての役割を果たし、海賊ヶ浦という地名も残る。大島の領主大島氏は、貞応3年(1224年)から寛永6年(1629年)までの405年間もこの島を統治していた。
現在、島では米を生産し、斜面を利用した棚田が多くみられる。島には大きく3つの集落がある。海上交通の要衝として栄えた的山(あづち)集落、捕鯨からはじまり水産業で栄えた神浦(こうのうら)集落、棚田の中に形成された大根坂集落。神浦は、国重伝にも指定され、江戸時代から昭和初期にかけての町家が建ち並んでいる。深く入り込んだ港は2本の川の河口に別れ、町並みも双方に形成されている。木板の割合が高い切妻平入りの家並み。地形に沿って丁寧に湾曲し、シークエンスを味わうことのできる町並みである。
集落町並みWalker
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