《羽咋の獅子》石川県羽咋市 羽咋神社1/5【半島の獅子】石動山〈西〉20150919IMG 4848
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《羽咋の獅子》石川県羽咋市 羽咋神社 石動山西部 能登半島の獅子 20150919
羽咋町は各地区にある10個の獅子頭に対して、神社が一つ、神輿が一つしかない。更には、町内の獅子頭とは関係なく、神社の獅子というものがある。しかも小型の行道獅子が基本の獅子である。各地区から神社の獅子を回す人が選出される。羽咋神社はもともと天皇の墓を守るための神社であり、奈良時代から始まる行道の獅子がいてもおかしくはない。しかし散楽百戯のような大型でなく、小型であるのはどういうことだろうか。やや獅子化しているが、頭の形は箱型であり、龍型の原形を残しているようだ。神輿もすべての地区から人が集って担ぐ。夕方に神社に一度納めていた神輿をまた晩にとりにくる時に走ってきて気勢を上げて奪うように持っていこうとする姿は異形異類の姿、薄暗い明りにただよう妖怪の様子である。そして神輿を担いでから、町内を回るために境内を出る迄、神輿は前に言ったり下がったりする。これは一体何なのか。聞きそびれた。とても人間臭いこの振る舞いは、神社と氏子、人と神のせめぎ合いであろうとは思うが、確かめておきたい。
羽咋にはこの神社の獅子と別に、面白いことをやっている。獅子舞にくっついている太鼓や笛、鉦を奏する囃子を祇園囃子と呼んでいる。当時この地に芸者が棲んでいたころ生まれた形態だという。金沢の獅子のように獅子の蚊屋の中に三味線、太鼓、笛などが入っている。かつては3つの地域で行っていた囃しの形態であるが、現在は1つの地域だけがメインで行っているという。羽咋には芸者の歴史があるように、町であり、天皇様の神社があるための他の神社が入れなかった歴史がある。人が増えたが、人を結ぶ力が弱かったのだろうか。地区がだだっ広い分だけ、祭に関心を向けない住民が多いという。祭の資金も、人でも、苦労するのだという。町の獅子は、山の獅子とは違った苦労をしながら暮らしをしているわけである。