無伴奏混声合唱のために「廃墟から」より「第一章 絶え間なく流れてゆく」
作詞:原民喜 作曲:信長貴富
指揮:伊東恵司
2019年3月3日(日)
混声合唱団名古屋大学コール・グランツェ第41回定期演奏会1st stage コンクール報告演奏
121人での演奏
愛知県芸術劇場コンサートホール
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私たちは生かされている。
この世界において絶え間なく連綿と続く命の続きを私たちは生かされている。
しかし、その命を不意に、何の前触れもなく絶たれた人々がいる。
私たちは彼らの残した想いの数々を掬い取り、彼らの残した命の続きを生きることができているだろうか。
無伴奏混声合唱のために『廃墟から』より『絶え間なく流れてゆく』は、原爆詩人として知られる原民喜の碑文に使われた詩を中心として彼の様々な詩から断片的に切り取ったテキストに、母が被爆者である原爆二世の信長貴富が曲を付け構成されている。原民喜のテキストには原爆投下後の凄惨なヒロシマの様子が描かれ、私たちでは推し量ることも敵わないような被爆者たちの叫びや慟哭が克明に記されている。
1945年8月6日の原爆投下時爆心地から僅か1.2kmの位置にいたにも関わらず、偶然にも一命を取り留めた彼は、その後原爆投下時の様子を描いた作品を生み続け、被爆から6年後、自ら命を絶った。轢死体として発見されている。
自殺をするまでに至った彼の精神状況、そして自殺をするに当たって電車への飛び込み自殺という方法を選んだ彼の胸中を私たちは知るべくもないが、彼が書き残しているように、彼は被爆後の晩年、一切私的な作品を残さずひたすらにヒロシマの死者たちの叫びに耳を傾け続けた。
あの時あの場所にいた者にしか分かることのない凄惨な状況の鮮烈なまでの描写は、今も読む者へ彼らの深い怒りを訴え続けている。
先も述べた通り、私たちはあの時何があったか残された資料や文献から推し量ることしか敵わない。ましてやあの場にいた原民喜が味わった、筆舌には尽くしがたいほどの人間への深い絶望は私たちが分かることができるはずもない。あの劇的な時代を知らない今の私たちが、身勝手にこの曲を歌うことには強いためらいを覚えるのも事実だ。
しかし、私たちはそれでも尚、やはり逃れられない想いでこの曲に一年間向き合ってきた。
あの時あの時代に何があったのか、彼らは何故自らの死を自らではなく他人から押しつけられなければならなかったのか、そして、彼らは最期に何を思ったのか。
その全てが私たちにとって切り離せないように感じたのは、私たちの命もまた彼らの命の続きであり、彼らの命もまた、誰かの命の続きだという意識があったからだろう。
私たちは生かされている。
この世界において絶え間なく連綿と続く命の続きを私たちは生かされている。
命を絶たれた彼らの叫びを掬い取ろうと藻掻くことで、私たちは彼らの命の続きを生きることができているだろうか。
絶え間ない命の流れの中で、私たちが今ここで歌うことが意味を持つ日が来ると信じ、私たちは歌う。
(プログラムノートより)
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