2025年1月26日(日)
富貴城(ふきじょう)
所 在:愛知県知多郡武豊町冨貴郷北101
34.8303726, 136.9148967
駐車場:白山神社駐車場
34.8301062, 136.9149745
別 名:冨貴城、東大高城、邑城
⚫︎知多半島東岸にある古い港、武豊町の円観寺と白山神社が、富貴城の城址と伝えられる。広さおよそ7700㎡、今は堀の跡がわずかに残っている。築城年代は明らかでなく、初め、この地の武雄天神社の祠官岩田氏が長尾城を築き、その支城として当城が造られたと考えられる。やがて岩田氏は衰え、河和の戸田氏がこれに代わり、戸田孫右衛門が居住したといわれる。(日本城郭大系9 306ページ)
⚫︎東大高城、あるいわ邑城ともいう。
『尾張志』に「富貴村にあり、其跡7反八畝、今円光坊の松林となる。戸田孫右衛門法雲居住し、後河和にうつる。里人法雲を誤りて戸田法印の城といひ伝えたり」とある。
『武豊町誌』は、本城はもと長尾城を築いた岩田氏の支城であったが、岩田氏が衰えとともに河和の戸田氏の支配に帰した。しかし織田・水野の圧力によって勢力を失い、今川氏の敗北とともに廃城となったものと推定している。大高、市原、市場、富貴の地名は城下の名残りであり、市原、市場は市の立ったところと伝えている。現在の白山神社は本丸の跡、円観寺はもと白雲山円光坊と称し、八幡社の西にあたる薄里にあったものと伝え、境内には城址と推察される堀がめぐらされている。
(日本城郭全集7 186ページ)
⚫︎まとめ
築城年代は明らかでないものの、武雄天神社の祠官岩田氏が築いた長尾城の支城として造られたと考えられています。
岩田氏の衰えとともに河和の戸田氏の支配下に置かれ、その後、今川氏の敗北とともに廃城となっています。
現在の白山神社が本丸跡とされています。