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正蔵たっぷり 稲荷町のとんがり彦六とは俺のことだ【落語】

緩落語ch:荒獅子男乃助 4,643 lượt xem 2 months ago
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0:48山崎屋 29:55淀五郎 57:06鰍沢

「山崎屋」
日本橋横山町の鼈甲問屋山崎屋の道楽息子の徳次郎。番頭に三十両を用立てしてくれとせがむ。そんな大金はとても無理と断る番頭に徳次郎は店の金をごまかして回してくれと言い出す。番頭は奉公してから一文たりともごまかしたことはないと声を張り上げるが徳次郎は番頭さんは小綺麗な家に年増の女を囲っているがその金はどうしたんだと責めてきた。

「淀五郎」
初日を前に『仮名手本忠臣蔵』の塩冶判官の役者が急病で出られなくなった。座頭の市川團蔵は、前から見込みがあると目をつけていた若手の澤村淀五郎を抜擢する。淀五郎はここぞと張り切るが、演技が過剰になって上手くいかない。肝心の四段目「判官切腹の場」になると、大星由良助役の團蔵は舞台に出ないで七三で平伏したまま。そんなことが何日]も続き、評判が悪くなる・・・

「鰍沢」
身延山を参詣した旅人が法論石霊場から鰍沢の船着き場に出ようとしたところ雪道に迷い山中の一軒家にたどり着きます。その家にいたのは昔吉原の熊蔵丸屋に遊女奉公をしていたお熊でした。幕末から明治期に活躍した三遊亭円朝が20代の頃に発表した三題ばなしの1つで、山梨県富士川町を舞台にした噺。別題には「鰍沢雪の酒宴」「鰍沢雪の夜噺」「月の輪お熊」など

八代目 林家 正蔵 (彦六)
正蔵の名跡は海老名家より借りていたもので、いずれは名跡を三平に返上するつもりでいたが、三平の好意により終生正蔵を名乗る事とし自らの死後三平に返上する事にした。しかし1980年三平の急死に伴い正蔵の名跡を海老名家に返上し「彦六」に改名したので俗に「彦六の正蔵」と呼ばれた。他にも居住地の「稲荷町(の師匠)」また性格から「トンガリの正蔵」とも呼ばれた

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落語の蔵:https://www.youtube.com/@Repli455/videos

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