1977昭和52年04月30日収録
その他不詳です。
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米川文子
(よねかわ ふみこ)
1894.6.15(明治27)~1995.5.31(平成7)
岡山県上房郡高梁町(高梁市)出身。質屋を営んでいた父の米川常太郎、母の利喜の末子として生まれる。
異母長姉に箏曲家の米川暉寿(てるじゅ)。兄に箏曲家の米川親敏(米川琴翁)、ロシア文学者の米川正夫(7-2-8)がいる。
箏曲一家に生まれ、幼い頃から箏を姉の暉寿に学び、9歳にして筝曲の免許皆伝となり、伝授書を受ける。
菊原琴治らに師事し、古典を求めて各地の師匠をたずねた。
1905(M38)上京して三味線を小井出といに学ぶ。山脇高女卒業。
'14(T3)20歳で独立し教授するようになる。'28(S3)箏曲演奏団「双調会」を主宰、地歩を固めて生田流家元となる。
'31福田喜久子、木谷寿恵とともに生田流の古典研究を目的とした虹輪会を結成し、第1回演奏会を催す。 同年、三弦の免許皆伝となり、豊賀名誉大勾当梅琴から伝授書を受ける。'35第1回地唄舞研究会を開催、関西の芸である地唄を東京に広めた。
'37兄の清の長女である米川操(のちの二代目米川文子)を内弟子にする。'40大日本三曲協会創立にともない理事に就任、'44改組した三曲協会でも理事を務めた。 '42五月女(米川)文志津を内弟子とした。'50第1回邦楽コンクールの審査員をつとめる。'58~'70日本三曲協会副会長(6期)。'60、'62、'63芸術祭奨励賞受賞。 '64芸術祭賞受賞。
'65紫綬褒章受章。
'66~'84「初春のしらべ」(山陽テレビ)に毎年出演。
'66(S41)重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。
同年、岡山県高梁市名誉市民に推戴。
'67勲四等瑞宝章受章。
'69第20回放送文化賞(日本放送協会)受賞。 '70~'81日本三曲協会会長に就任し、
'76「学校音楽普及の会」を発足し学校教育での三曲の普及に尽力。 '73岡山県高梁市図書館に米川文子記念文庫を設置し、毎年図書を寄贈。'74初代生田流協会会長就任。 '77第10回三木記念賞「文化部門」受賞。同年「筝曲の伝統を守る会」結成披露会を上原真佐喜(22-1-73 2代目)と主催した。 '78生田流協会会長辞任、名誉会長。
'78日本芸術院会員。'81勲三等宝冠章受章、文化功労者として顕彰。
同年日本三曲協会会長辞任、名誉会長。
急性胆のう炎のため逝去。享年101歳の大往生。
著書に『生田流筝曲楽譜』(1954)。 LP:『筝曲手事集』(日本コロンビア 1959)、『地唄舞選集(その1)、(その2)』(東芝 1961)、『米川文子全集-検校を訪ねて』(ソニー 1973)、『米川文子全集-第2集第1巻、第2巻』(ソニー 1975、1977)、『芸術院会員・人間国宝 米川文子の芸術』(東芝EMI 1979)。 CD:『白寿記念、米川文子全集』(ソニー 1992)。
出典:コンサイス日本人名事典、米川文子「人と芸」