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今年の節分は、二月二日でありました。
このことを知ったのは、今年に入ってからでありました。
例年二月三日とばかり思い込んでいたのでした。
今年の二月二日は日曜日で、私は鎌倉エフエムのラジオ生放送に出ていました。
そのために、節分についてあれこれと調べていました。
いつものように、「節分」を『広辞苑』で調べてみました。
まずはじめに「①季節の移り変わる時、すなわち立春・立夏・立秋・立冬の前日の称。」と書いてあります。
節分は一年に四回あるのです。
てっきり、二月の節分だけだと思っていました。
ただ②に「特に立春の前日の称。この日の夕暮、柊の枝に鰯の頭を刺したものを戸口に立て、鬼打豆と称して炒った大豆をまく習慣がある。」と書かれています。
この二番目の節分が、私たちが今日親しんでいる行事であります。
ではそもそも豆まきとは何だろうかと『広辞苑』で調べると、
「節分の追儺に、「福は内、鬼は外」と唱えながら豆をまくこと。」と書かれています。
これを読むと「追儺」という言葉がよく分かりません。
こちらも『広辞苑』で調べて見ると、丁寧に解説されていました。
「宮中の年中行事の一つ。大晦日の夜、悪鬼を払い疫病を除く儀式。
鬼に扮装した舎人(とねり)を、内裏の四門をめぐって追いまわす。」
と書かれているのです。
もともとは宮中の行事で、大晦日に行われていたものです。
そこで鬼の役をした者を追い払う儀式だったのでした。
そんなことを話していると、ラジオでは村上信夫さんから、「雑節」というのを教わりました。
「雑節」は
「二十四節気以外の節分・八十八夜・入梅・半夏生・二百十日・土用・彼岸・社日など」をいうのだそうです。
二十四節気には入らないのですが、節分や八十八夜などよく知られています。
いろいろ勉強になるものです。
節分では、寺でどんなことをしているのですかと問われました。
円覚寺では残念ながら、なにも特別なことはないのです。
お隣の建長寺様では毎年盛大に豆まきが行われているとうかがっています。
お隣同士で、お隣でやっていることはあまりやらないようにということかなと思っています。
特別何もないので、こうしてこんなところでラジオに来ていますと伝えました。
「こんなところに来ているのです」と言うのがよろしくなかったようで、「こんなところ」とは何事かと村上さんから叱られましたが、別に悪い意味ではないのでした。
寺ではない、このような場所に来ているというだけのことですとお伝えしたのでした。
言葉は気をつけないと、こちらに悪気はなくても相手を不快にさせてしまう場合があります。
「鬼」とはそもそも何だろうという話題になって
『漢和辞典』で文字を調べてみると、
「おに。死人のおばけ。おぼろげな形をしてこの世にあらわれる亡霊。▽中国では、魂がからだを離れてさまようと考え、三国・六朝以降には泰山の地下に鬼の世界(冥界)があると信じられた。」と書かれています。
『広辞苑』にはもともと「「隠おに」で、姿が見えない意という」そうで、
①天つ神に対して、地上などの悪神。邪神。
②伝説上の山男、巨人や異種族の者。
③死者の霊魂。亡霊。
④恐ろしい形をして人にたたりをする怪物。もののけ。
⑤想像上の怪物。
仏教の影響で、餓鬼、地獄の青鬼・赤鬼があり、美男・美女に化け、音楽・双六・詩歌などにすぐれたものとして人間世界に現れる。
後に陰陽道の影響で、人身に、牛の角や虎の牙を持ち、裸で虎の皮のふんどしをしめた形をとる。怪力で性質は荒い。」
という解説です。
私たちにわざわいをもたらすものを鬼として、それを追い払ってお互いが幸せになるようにお祈りする儀式だと思いますと申し上げたのでした。
目に見えないものに対して怖れ慎む思いを懐いて、そしてみんなで豆まきなどをしてお祈りするのはよい習慣であります。
ただ邪悪なものを払いのけるだけでいいのかというとそれも問題であります。
そこから私の法話となりました。
この体鬼と仏とあい住める
という句を紹介しました。
誰しも心には鬼のような邪悪なものを抱えています。
貪欲、怒り、怨み、嫉妬、無知、愚かさなどでしょうか。
妙好人の浅原才市さんの話をしました。
有名な画家が浅原才市さんの肖像画を描いたそうです。
できあがった画を見て才市さんは、こんな立派な肖像画は自分ではないと言いました。
そして書き直された肖像画には、頭にツノが二本生えていたというのです。
「頭に鬼のツノを描いてください。人の心を突き刺し、他人を傷つけてしまう恐ろしいツノです」と才市さんが画家に頼んだのでした。
心の中の邪悪なものを追い払うにはどうしたらいいのかと問われたので、追い払おうとしないことですと言いました。
誰しも心の中には、鬼も住んでいると自覚して生きることですと申し上げたのでした。
かつて毎日新聞で、心療内科医の海原純子先生が、子どもの頃に、「鬼は外」と大きな声で叫んで、窓から豆をまくと、お父さまから叱られたという話をしました。
。
お父さまは「窓の外は隣の家の内なのだ」と言ったのです。
今も「福は内、鬼も内」と声をかけるところもあるようです。
そんな話をしておいて最後には坂村真民先生の「みめいこんとん」の詩を紹介しました。
そのなかには、
「わたしがいちにちのうちで
いちばんすきなのは
みめいこんとんの
ひとときである
わたしはそのこんとんのなかに
みをなげこみ
てんちとひとつになって
あくまのこえをきき
かみのこえをきき
あしゅらのこえをきき
しょぶつしょぼさつのこえをきき
じっとすわっている」
という一節があります。
神の声だけではないのです。
悪魔の声も聞くのです。
「めいかいとゆうかいとの
くべつもなく
おとことおんなとの
ちがいもなく
にんげんとどうぶつとの
さべつもない
すべてはこんとんのなかに
とけあい
かなしみもなく
くるしみもなく
いのちにみち
いのちにあふれている」
というすべてがとけあってひとつになっている世界なのです。
これが空の世界であり、仏心の世界であります。
そんな話をしてお昼までラジオに出て寺に帰りました。
寺に帰ると恵方巻きをいただきました。
知人がくださったのでした。
私は初めていただくものでした。
恵方巻きというものがあると耳にしていましたのが、実際にいただくのは初めてでありました。
夕方は修行道場で修行僧達だけでひっそり豆まきをしていました。
そんな節分でありました。
横田南嶺
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