今回は、万葉集の中から「防人の歌」をご紹介します。
防人は、飛鳥時代から平安時代にかけて、九州沿岸の防備にあたった兵士のことです。663年「白村江の戦い」での大敗の後、唐・新羅の侵略に備えました。
「さきもり」という読み方は、古来、岬や島などを守備した「岬守」や「島守」に由来します。これに、唐の制度である「防人」の漢字をあてました。
『万葉集』には「防人の歌」が84首あります。
大伴家持を中心に収集され、故郷に残してきた家族のことを思い詠った歌がたくさんあります。
動画では、次の歌をとりあげました。
熟田津(にきたつ)に船乗りせむと月待てば
潮(しほ)もかなひぬ今は漕ぎ出(い)でな
巻一(八)額田王
今日よりは 顧(かえり)みなくて 大君(おおきみ)の
醜(しこ)の御楯(みたて)と 出で立つ吾は
4373 火長今奉部与曾布(かちょういままつりべのよそふ)
我が妻も絵に描き取らむ暇(いつま)もが
旅行く我(あ)れは見つつ偲はむ
4327 物部古麻呂
水鳥(みづとり)の 立ちの急ぎに 父母(ちちはは)に、
物言(ものは)ず来(け)にて 今ぞ悔(くや)しき
4337 上丁有度部牛麻呂
ふたほがみ悪(あ)しけ人なりあたゆまひ
我(わ)がする時に防人(さきもり)に差(さ)す
4382
防人に 行くは誰(た)が背(せ)と 問ふ人を
見るが羨(とも)しさ 物思ひもせず
巻二十 4425
韓衣 裾に取りつき 泣く子らを
置きてそ来ぬや 母(おも)なしにして
4401
足柄(あしがら)の御坂(みさか)に立(た)して袖(そで)振(ふ)らば
家(いは)なる妹(いも)は清(さや)に見(み)もかも
巻20 4423 藤原部等母麻呂(ふじわらべのともまろ)
色深く夫(せ)なが衣(ころも)は染めましを
御坂(みさか)たばらばま清(さや)かに見む
4424 物部刀自売
国国の防人(さきもり)集(つど)ひ船(ふな)乗りて
別るを見ればいともすべなし
4381 河内郡上丁神麻續部嶋麻呂
おしてるや難波(なにわ)の津(つ)ゆり船装(ふなよそ)ひ
我(あれ)は漕(こ)ぎぬと妹(いも)に告(つ)ぎこそ
4365 信太郡(しだのこおり)の物部道足(もののべのみちたり)。
百隈(ももくま)の道は来(き)にしをまた更に
八十島(やそしま)過ぎて別れか行(ゆ)かむ
4349 助丁(じょちょう)刑部直三野(おさかべのあたいみつ)
わが妻は いたく恋ひらし 飲む水に
影(かご)さへ見えて 世に忘られず
4322 若倭部身麻呂
父母が頭かきなで幸(さ)くあれて
言ひし言葉(けとば)ぜ忘れかねつる
4346 丈部稲麻呂(はせつかべのいなまろ)
#防人の歌#万葉集#大伴家持