0:50 ねずみ 39:40 崇徳院 1:00:59 芝浜 1:31:46エンドトーク
「ねずみ」
元々は2代目広沢菊春が落語風にアレンジした浪曲だったが菊春と意気投合した三木助が「加賀の千代」と交換して落語に持ち込んだと言われている。三井の大黒の噺より約10年後が舞台。大工の棟梁、政五郎の家に居候の身の左甚五郎。見聞を広めるためか、ただの物見遊山か奥州への旅へ出る。仙台城下で客を引いている子どもに「おじさん、うちに泊まっておくれよ」と袖を引かれて鼠屋という宿に入る。使用人などはいなく腰の立たない卯兵衛と十二になる子どもの卯之吉二人だけでやっている宿とは名ばかりで物置小屋のような粗末な家だ。足をすすぐのは裏の小川、夕飯は父子二人分込みの出前の寿司、布団は貸布団という宿らしからぬことばかりで甚五郎が二分払うと卯之吉は酒を買いに行った。甚五郎「なぜ女中などを置かないのか?」と卯兵衛に問うと・・・
「崇徳院」
熊五郎が出入りの店の大旦那から呼ばれ行くと、若旦那が具合が悪く寝込んでいるという。ある名医の見立てによると、気の病だという。いろいろ聞いてみたが誰にも心の中を打ち明けないので、気心の知れた熊さんになら心の中を明かすかも知れないから、聞き出してくれと頼まれるが・・・
「芝浜」
裏長屋の貧乏暮らし、魚屋の勝は天秤棒一本で行商をしている。腕はいいのだが酒好きで、仕事でも飲みすぎて失敗ばかりでうだつが上がらない、その日も女房に朝早く叩き起こされ、嫌々ながら芝の魚市場に仕入れに向かうが早過ぎたため市場はまだ開いていない。誰もいない美しい夜明けの浜辺で顔を洗い、煙管を吹かしていると足元の海中に沈んだ革の財布を見つける。拾って開けると中には目をむくような大金。有頂天になって自宅に飛んで帰り飲み仲間を集めて大酒を呑むが・・・
三代目桂三木助
当時まではとりわけ注目もされていなかった円朝作と云われる落語「芝浜」を独自に練り上げ得意にした。以降「芝浜」は夫婦の情愛を美しく描いた名作落語として認識されるようになり、多くの落語家が口演するようになった。現在でも三代目桂三木助のものが傑作と云われることから通称「芝浜の三木助」と呼ばれる。賭博にはまっただけに博打にまつわる噺をよくした。ある日仲間の噺家が6代目三遊亭圓生に「へっつい幽霊」の稽古をつけているとき、「あなた!それじゃあ盆の使い方が悪い」と言ってサイコロの振り方を演じた。それはあまりにも真に迫っているので、圓生は感心したが、そこまでやらなくてもいいのにと思ったという。小さんとは同姓で義兄弟の杯を交わしたほどの大親友であった。この縁で最晩年に生まれた長男の名前に小さんの本名と同じ盛夫と名付ける。盛夫は後年小さんに入門し、4代目桂三木助を襲名し孫(娘の子)の康浩は5代目桂三木助を襲名した。
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