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【心肺停止からの蘇生】悲劇の数々。再発させてはいけない危険なアクシデントが起きた試合とは。#プロレス #猪木  #長州力 #タイガーマスク

オレたちのプロレスと格闘技の考察 22,553 lượt xem 11 months ago
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事件が起きたのは1990年6月12日、まだ新日本の若手だった馳と後藤達俊とのシングルマッチでのことだった。

試合中、後藤のバックドロップに、馳は左肩で受け身を取ろうとした。ところが、あまりにも技の仕掛けが速かったため、受け身を取り損ねて左のこめかみからリングに落下してしまった。

意識がもうろうとしたまま試合を終えた馳だったが、シャワーを浴びて20分後、セコンドにつこうと控室から足を踏み出した瞬間、目の前がグルグル回って昏倒した。

全身のけいれんから硬直が始まり、失禁しながら口から泡を吹いたという。当時、新日本プロレスのリングドクターを務めていた富家孝氏が駆けつけた時にはすでに心肺停止状態で、瞳孔が完全に開いていた。富家氏も内心「もう助からない」と思っていたほどの危機的な状態だったという。

富家氏の人工呼吸と、その場に偶然居合わせた警察官の心臓マッサージで、1分後になんとか蘇生したが、馳はその間に幽体離脱して倒れている自身の姿を見るなど、いわゆる臨死体験をしていたという。

幸い、馳は翌日に意識を取り戻した。さらに数日後のレントゲン検査では、事故直後に写っていた脳内出血の影が消えていた。その後も驚異的な回復力をみせた馳は、わずか1週間の入院と2カ月間の試合欠場を経てリングに復帰した。

馳の場合は、直後の適切な処置によって文字通りに九死に一生を得たわけだが、その後はリング上での死亡事故が起きてしまう。1990年代以降は、試合の過激化にともない、「受け身の失敗」「ダメージの蓄積」などによる事故が目立つようになった。

#プロレス #猪木  #長州力 #タイガーマスク

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