【破天荒すぎる伝説のエピソード】最後まで病と闘い続けたマサ斎藤 亡くなった斎藤に妻がつけた驚きの戒名とは? #猪木 #長州力 #前田日明 #タイガーマスク #プロレス
マサ斎藤というと、テレビ朝日「ワールドプロレスリング」の解説者というイメージを持つ人も多いことだろう。
放送席での辻よしなりアナとの噛み合わないトークがまるで漫才のようだと話題になった斉藤には、言い間違いや素頓狂なコメントも多く、正体を明らかにしていなかったマスクマンの試合を実名で解説してしまうこともしばしばであった。
そんな解説者としてのユーモラスな一面とは違い、リング上のマサ斉藤は、「獄門鬼」の呼び名そのものの鬼気迫る表情で、どんな大型選手相手でも決して退かないファイターだった。
1942年8月7日、東京都中野区に生まれた斎藤は、明治大在学中の1964年、東京オリンピックのフリー97キロ級に出場。入賞はならなかったが、翌年に明治大学を卒業すると、日本プロレスに入門した。実はこれが、オリンピアンが日本のプロレス界に入った最初のケースであった。
1966年にプロレスに参加するも、団体が崩壊してしまい、仲間のレスラーが日本プロレスと国際プロレスに振り分けられる中、斎藤だけが単身でのアメリカ行きを選んだ。鍛えあげたボディと卓越したレスリング技術で、すぐに稼げるレスラーになった。リングに上がったら相手がクマということもあったという。
「クマとはフロリダでやったんだけど、プロモーターから渡された契約書をロクに読みもせずにサインしたら、それがクマと闘う内容だったんだよ。ハメられたよな~」と、のちに斎藤は笑いながら振り返っている。
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