MENU

Fun & Interesting

【寒い雰囲気...】20年間も口もきかない犬猿の仲。握手なし。2ショット写真なし。週刊文春 前田と佐山の奇跡の対談内容とは? #猪木 #長州力 #前田日明 #タイガーマスク #プロレス

オレたちのプロレスと格闘技の考察 100,020 lượt xem 1 month ago
Video Not Working? Fix It Now

2006年4月、『週刊文春』に掲載されたある記事がプロレスや格闘技の業界関係者とファンを驚かせた。「佐山聡 vs前田日明 20年ぶりの遺恨試合」と題された、わずか3ページの対談記事である。

1980年代に初代タイガーマスクとして一大ブームを巻き起こし、のちに世界初の総合格闘技団体「修斗」を作った佐山聡と、その佐山にスカウトされてプロレス界入りし、のちにUWFやリングスを立ち上げ、総合格闘技ブームのきっかけを作った前田日明。

実はこの2人、ある試合を契機にそれまで20年間もの長きにわたって言葉を交わしていなかった。

第一次UWF時代の1985年9月2日、大阪・臨海スポーツセンターで行われた佐山と前田の一戦は「伝説の遺恨試合」と言われている。

試合開始直後から喧嘩腰にセメントを仕掛ける前田に対し、スーパー・タイガーこと佐山はまったくと言っていいほど対応できなかった。

ギクシャクした試合展開の中、両者が組み合ったときに前田がボディに膝蹴りを入れる。この時、佐山が金的に当たったとレフェリーにアピールしてしゃがみ込んだ。

実際にVTRを見ると、前田の蹴りが急所に当たっているようには見えない。しかしレフェリーも「これ以上やっても試合が成立しない」と判断したのか、すぐにゴングを要請している。前田の反則負けである。

この試合に関して、当時のファンの間では「格闘技に対する考え方の違いが原因」「UWFの経営方針を巡る対立」などと諸説入り乱れた激論が交わされた。

前田の自伝『パワーオブドリーム』には、「団体経営が苦しいので試合数を増やそうとしたのにシューティングの理想を追求する佐山だけが反対した」「あまりにも制約の多いルールを佐山ひとりで勝手に作り採用しようとしていた」とある。

前田にしてみれば「あなたのやろうとしていることは、こんなことですよ。こんな試合を続ければ、選手生命どころか、命そのものが危ないですよ」ということを、身をもって佐山に伝えたかっただけかもしれない。

その思いが伝わったかどうかは定かではないが、セメントをやめそうもない前田に対し、このまま行くと危険だと察知した佐山が、無理筋で試合を終わらせたのだ。

不可解な裁定で幕を閉じたこの試合以降、佐山と前田が関わることはなかった。

↓応援頂けるスポンサー様 お問い合わせはコチラから
toshihanai1971@gmail.com

#猪木  #長州力 #前田日明 #タイガーマスク #プロレス

Comment