神社仏閣巡り「寺社参詣シリーズ」第66回は、兵庫県南部、大阪と神戸のちょうど中間にある西宮市に鎮座する、西宮神社です。
西宮神社の創建については、よくわかっていません。
社伝によると、鳴尾の漁師が、神戸和田岬の沖に出現した蛭児神の神像を引き上げ自宅で祀っていましたが、ご神託によりそこから西の方に遷して祀ったのが起源とされています。
この時の伝説で、漁師仲間と一緒に蛭児神を神輿に乗せて、西の方へ宮地を求めて出かけ、途中で何度か神輿を下ろして休憩したのですが、ある所で一休みされたえびす様が寝込んでしまい、なかなか目を覚まされなかった・・・ その場所が、西宮神社から東へ200m程の、現在の札場筋角にある「御輿屋跡地」と呼ばれている所 とのことです。
延喜式神名帳には、摂津国莵原郡に「大国主西神社」というのが書かれており、これが西宮神社の起源とする説があります。しかし、西宮神社は武庫郡にあるため一致しませんが、莵原郡と武庫郡との境とされていた夙川が、河道の変遷で、当時は現在よりも東を流れていて、西宮神社は莵原郡であった という説もあり、現在まで確定していません。
平安時代には、廣田神社(西宮市大社町・旧官幣大社)の境外摂社であり、「浜南宮」もしくは「南宮社」と呼ばれていました。平安時代末期には、その廣田神社摂社として「夷」の文字が文献に出てくるようになり、この頃からえびす信仰があった と考えられています。
中世になって、神職であった人形繰り集団「傀儡師(くぐつし)」が、西宮神社の境内北隣に居住しており、この傀儡師が全国を巡回し、えびす神の人形繰りを行って神徳を説いたことで、えびす信仰が全国に広がっていきました。
明治時代になって、西宮戎社 と呼ばれていた西宮神社は、大国主西神社と名を改め、明治5(1872)年に廣田神社から独立、村社に列せられましたが、明治7(1874)年には県社に昇格します。しかし、当時の教部省は、境内末社の大己貴社こそが実は大国主西神社であるとする説から、県社指定を取り消し、大国主西神社を西宮神社に、大己貴社を大国主西神社に改称、さらに両方とも廣田神社の末社とする通達を出しました。
これに対し西宮神社と氏子総代は教部省に異議を申し立てたところ、改称と廣田神社末社とすることは変わりませんでしたが、両神社とも県社に指定し、さらに廣田神社と西宮神社とは別に神主を定め、社務等は別に行うこととなりました。
第二次大戦後、西宮神社は神社本庁の別表神社に列せられましたが、社名の問題は放置されたままとなっています。
西宮神社は、前述のように「えびす信仰」の中心、全国に約3,500社あるとされる「えびす神社」の総本社とされ、特に関西では、大阪ミナミの今宮戎神社、大阪キタの堀川戎神社と並んで、毎年1月9日~11日の「十日戎」では大勢の参拝客が訪れることで有名です。
西宮神社の年中行事の中で、最も代表的なのが、1月10日の早朝に行われる「十日戎開門神事福男選び」です。
午前4時からの十日えびす大祭が終わって、午前6時に「開門!」の号令と同時に表大門が開かれると、本殿までの約230mを「走り参り」し、最初に本殿へ到着するのを競うもので、先着3名が、その年の福男と認定されます。(1着:1番福、2着:2番福、3着:3番福) 2021年と2022年は、新型コロナウィルス感染症の感染拡大により、開門神事は中止となりましたが、有志で作る「開門神事講社」のメンバーが歩いて参拝者を本殿まで誘導する形で
行われました。
西宮市は、灘五郷の「西宮郷」「今津郷」がある酒造りの街です。「大関」「白鹿」「日本盛」といった日本酒の有名銘柄は、西宮に酒蔵があります。(残る「魚崎郷」「御影郷」「西郷」は神戸市内で、銘柄は「浜福鶴」「菊正宗」「剣菱」「白鶴」「福寿」「沢の鶴」など。)
この日本酒を造るのに適しているとされている水「宮水」(当初は「西宮の水」とよばれていたが、やがて略されて「宮水」とよばれるように)は、西宮神社の南東側一帯で湧出しており、硬度が高く、リン含有量が多く鉄分が少ないという特徴があります。現在も、この宮水を守るための水質保全活動が行われています。
十日戎では、「商売繁盛で笹持って来い!」のかけ声で大変賑わいますが、普段は静かな酒蔵の街に鎮座する商売繁盛の神、西宮神社の動画をご覧下さい。
機 材:GoPro HERO8
【リンク】
西宮神社 公式WEBサイト
https://nishinomiya-ebisu.com/
【使用BGM】
シューベルト アルペジオーネ・ソナタ イ短調 D.821 第2-3楽章
(クラシック名曲サウンドライブラリー)
http://classical-sound.seesaa.net/
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