小楢山は、山梨県山梨市(旧東山梨郡牧丘町)に位置し、奥秩父山地の南(西)部に属する標高1,713mの山です。
「古那羅山」とも記され、山梨百名山の一つとして親しまれています。
登山道はよく整備されていますが、公共交通機関でアクセスするのがむずかしいため、ちょっとマイナーな山です。
今回は、牧丘地区にある「保健農園ホテル フフ山梨」の登山者用駐車場から出発しました。
このルートでは、林道を約1時間ほど歩くと「父恋し路・母恋し路」の分岐に到達します。
やさしい母恋し路で登り↑、険しい父恋し路で下りる↓ことにします。
ずいぶん抒情的なネーミングだなぁ、くらいに思っていたのですが、現地に行ってみると、この道が川上村に所縁があることがわかりました。
小楢山周辺には武田信玄に関連する歴史的な背景が多く存在します。
甲州市にある乾徳山恵林寺は、武田信玄の菩提寺で、その墓もここにあります。
また、牧丘町は武田信玄の騎馬隊や忍者衆が活動していたエリアであり、信玄の祈願所である千野々宮の神社・寺院も点在しています。このような歴史的背景は、小楢山を登るのに、さらなる面白さを与えてくれます。
小楢山を北にずっとたどっていくと、国師が岳、金峰山、奥秩父山塊の主脈にあたり、さらに北へ進むと川上村です!
そういう位置関係なんだな、ふむふむ。
奥秩父山塊というと2,500mを超える山塊です。植生は亜高山帯の特徴を持ち、自然環境が厳しさを増します。ここを走るクリスタルラインが通行止めになり、私自身もこのあたりを彷徨った経験があるため(車ですけど)、その山深さを実感しています。
そのような高山を越え、中世の人々が行き来していたという事実が、すごく興味深い。
人間すげー!信玄すげー!みたいな。
自然の過酷さをものともせず、生活や戦のために山道を越えていった姿を想像すると、中世の人々の逞しさが胸に迫ります。
そういえば、武田信玄は土木工事をよくした戦国武将として知られていますが、現在に至る山梨県が土木工事に熱心なのは、その血が受け継がれているからでしょうか。
小楢山は、焼山峠から出発すれば、最速で頂上に立てます。
ハイキング未満の山歩きを楽しみたいときはそちらのコースが良いでしょう。
「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」
いや。ただ言ってみたかっただけです。
撮影日:2024年11月30日(土)