0:48 時そば 24:47 目黒のさんま 42:48 さくら鍋 49:19 鰻の幇間 1:10:07 饅頭こわい
「時そば」
古典落語の演目の一つ。 内容は蕎麦の屋台で起こる滑稽話であり数多い古典落語の中でも、一般的に広く知られた演目の一つである。「刻そば」「時蕎麦」という表記が用いられることもある。 1726年の笑話本「軽口初笑」の「他人は喰より」が元となっている。明治時代に3代目柳家小さんが上方落語の演目「時うどん」を江戸噺として移植したとされている。 以降柳派の落語家が得意として戦後は6代目春風亭柳橋、5代目柳家小さん、5代目古今亭志ん生がそれぞれ十八番としていた。
「目黒のさんま」
目黒に遠乗りに出かけたある大名家の殿様、駆け回って腹が空いたが弁当の用意がない。一軒の農家で焼いているさんまを家来に買わせて食べる。生まれて初めて食べる油の乗った焼きたてのさんまの美味いこと。家来からさんまは庶民の食べる下魚ゆえ屋敷に戻ってもさんまを食べたことは内聞にと口止めされるが帰ってからもさんまの味が忘れられない殿様、招待された親戚の所で何が食べたいかと問われ「さんまが食したい」と・・・
「さくら鍋」
珍しくて乙なもの馬肉を手に入れたので、八に鍋にしようと誘うが二人とも四つ足は自分の家では食べられないというので吉の家に行き、さくら鍋に誘うがやっぱり家族が四つ足が大嫌いで無理だが今日は親戚の家に行ってるので・・・。
「鰻の幇間」
夏真っ盛りの昼間、野幇間の一八は、通りがかりのどこかで見たような男に必死で食い下がり首尾よく近くの鰻屋に連れて行ってもらう運びとなる。近くの小汚い店に入ると2階から子どもが手習いの机を抱えて下りてきた。どう見ても繁盛している店ではない汚くてまずい鰻屋の二階で、男は便所に行くと言ってなかなか戻ってこない・・・。
「饅頭こわい」
町内の若い衆が集まって好きな食べ物をああだこうだと言っていると人には好き嫌いがあるという話になる。虫が好かないというが人は胞衣を埋めた土の上を初めて通った生き物を嫌いになるという言い伝えがある。蛙なら蛙が嫌いになり蛇なら蛇。嫌いな虫を言い合い蜘蛛くも、ヤモリ、オケラ、百足むかでといろいろ出たが黙っている辰さんに、どんなもんが怖い?と聞くと「ないッ」「でも、なんかあるだろう」しつこく聞くと「…まんじゅう」と言い・・・。
十代目 柳家 小三治
「まくらの小三治」と呼ばれるほど、まくらに力を入れており小三治のまくらを聴きに寄席に足を運ぶ常連もいたという。中堅どころの名跡であった「柳家小三治」を真打昇進から2021年に没するまで名乗り通した。この間落語協会理事や同協会会長を歴任し重要無形文化財保持者(人間国宝)にも認定され東京落語界の大看板になった。小三治は「名前を大きくした」と言われ四代目桂米丸や五代目三遊亭圓楽に並び本来留め名ではなかった中堅名跡を名乗り通し大看板となった落語家のひとりである
五代目 三遊亭 圓楽
1933年1月3日東京生まれ。六代目三遊亭圓生に入門
上野鈴本演芸場で落語を見て「戦争ですべてを奪われ暗い顔をした人々にこうやって笑いを起こさせることができる落語はすごい」と落語家になることを決意した。落語家になって数年経っても「噺は上手いが圓生の真似だ」と言われ圓楽自身も悩みストレスで一時は体重が48kgになったり自殺未遂をしかけるほどだった。若き日の自己のキャッチフレーズを「名人圓楽」とするが師匠などから「若手の分際で名人とは生意気だ」と怒られキャッチフレーズを「星の王子さま」に変更した。「落語界・寄席でタブーとされることを全部やってやる」「寄席の価値観の逆をやる」という戦略をとり瞬く間にスターとなった。
7代目立川談志、3代目古今亭志ん朝、5代目春風亭柳朝(柳朝休業後は8代目橘家圓蔵)とともに「東京落語四天王」と呼ばれた
三代目 三遊亭 金馬
古典を中心に持ちネタの数が非常に多く、爆笑落語から人情噺まで幅も広かった。登場人物の描き別けがきわめて明瞭で聴き取りやすく、よく練られた構成も無駄なく確かで「楷書で書いたような落語」と評される。老若男女、誰にでもわかりやすく、しかも過剰な演出はしない。ラジオの寄席番組に度々出演し、その芸風から親しまれた
八代目桂文楽
8代目文楽は「黒門町くろもんちょう」「黒門町の師匠」「黒門町の文楽」などと呼ばれた。演じた演目の種類は多くはなかったが徹底的に練りこまれているとの定評がある。東京時代の初代桂小南の唯一の弟子であり内弟子として入門し浅草にある初代小南宅に住み込んだ。初代小南は自身が上方の落語家であるため、この新しい弟子に稽古をつけることはなかった。8代目文楽は3代目三遊亭圓馬(当時は7代目朝寝坊むらく)に稽古を付けてもらうことになる。3代目圓馬は、ネタ数の多さで有名で、その中には東京・大阪の演目が幅広く含まれる。食べ方一つで羊羹の銘柄を描き分け、また豆を食べるのも枝豆、そら豆、甘納豆それぞれの違いをはっきりと表現し、8代目文楽を驚かせた。
五代目 柳家 小さん
滑稽噺(こっけいばなし)をもっぱら得意とし、巧みな話芸と豊富な表情で、1960年代には落語界の第一人者となる。特に蕎麦をすする芸は有名であり、日本一であるとの声が多い。本人も蕎麦を実際に食する際は、職業柄周囲の目を意識して落語の登場人物さながら汁を蕎麦の端にのみ付けていたらしく、最晩年になってから、「汁を最後まで付けてみたかった」と登場人物さながらの後悔を語った。1995年、落語家として初の人間国宝に認定された。位階は従五位。
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