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小三治 歌丸 圓生 旅は道連れ世は情けって噺【落語】

緩落語ch:荒獅子男乃助 8,101 lượt xem 1 month ago
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0:48二人旅 13:45万金丹 45:05三十石

「二人旅」
上方落語の東の旅の「煮売屋」の部分を四代目柳家小さん師が東京に移したもので、早くても大正後期以後には東京で演じられるようになったと云われてます。謎掛けや都々逸を入れたのは小さん師の工夫だと云われていて、これによって、元の噺の感じがかなり変わり、のんびりと田舎の道を歩く噺になりました。談志師曰く、気楽な二人連れの道中噺で、寄席で時間の無い時とかにやる噺で、何処でも切れるし、あまり力を入れなくて良い噺だ。

十代目 柳家 小三治
「まくらの小三治」と呼ばれるほど、まくらに力を入れており小三治のまくらを聴きに寄席に足を運ぶ常連もいたという。中堅どころの名跡であった「柳家小三治」を真打昇進から2021年に没するまで名乗り通した。この間落語協会理事や同協会会長を歴任し重要無形文化財保持者(人間国宝)にも認定され東京落語界の大看板になった。小三治は「名前を大きくした」と言われ四代目桂米丸や五代目三遊亭圓楽に並び本来留め名ではなかった中堅名跡を名乗り通し大看板となった落語家のひとりである

「万金丹」
道中で路銀が底をつき、水ばかり飲んで腹は大シケという、餓死寸前の大ピンチ。
とある古寺に、地獄にホトケとばかり転がり込む。いざとなればタコの代わりくらいにはなるから坊主でも食っちまおうっていうひどい料簡の二人、やっと食い物にありついたと思ったら、先代住職の祥月命日とやらで、精進物の赤土と藁入り雑炊を食わされる・・・

桂 歌丸
今輔門下から兄弟子4代目桂米丸門下へ移籍したのは芸術協会で勃発した香盤問題や今輔が新作派なのに対し高座で古典落語ばかり演じていたことに端を発して破門状態となり一時落語からはなれていたが三遊亭扇馬(のちの3代目橘ノ圓)の肝いりで米丸門下として落語界に復帰した。「笑点」の初期メンバーで小圓遊との掛け合いはものすごく受けたが「あたしは落語を怠けている」と痛感し落語をちゃんとやることにしたという。歌舞伎は仕草や立振舞などを見て落語に活きるからと、中村吉右衛門出演の歌舞伎をよく観に行っていた。「歌丸」の名は師匠の四代目桂米丸が考案した名で歌丸は当代が初代である。

「三十石」
京都見物が済んで伏見街道に出てきた江戸っ子二人。お土産に伏見人形を買って歩き始めたが足に豆が出来たので何処かで休もうと言いだした。もう少しで夜船というのがあって寝ている間に大坂に着くという船がある。それで行けば、大坂には遊ぶところがいっぱい有るから楽しみにしていろと励まされたが・・・。

六代目 三遊亭 圓生
落語家としてデビューした子供の頃に、他の落語家の高座を盗み聞きするだけで(稽古をつけられなくても)覚えていった噺も多いという。個人の持つ演目数としては、落語史上でも最多だったのではないかと言われている。古典落語・新作落語の別を問わず人気先行で芸を磨く事を怠る芸人を嫌い、草花は綺麗だが1年で枯れるしそればかりでは花壇になってしまう、日本庭園の松の木のようなしっかり磨いた芸を育てなければ、と語っていた。1978年に、日本の江戸落語の団体である落語協会において、当時の会長5代目柳家小さんらが行った真打大量昇進に対して、前会長で最高顧問の6代目三遊亭圓生がこれに反発する形で落語協会を脱退して一門弟子を連れ新団体の落語三遊協会を設立した

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